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16番目の月(下)

※この作品はフィクションであり、実際の人物・団体・事件とは関係ありません。また、特定の政治的・宗教的思想を否定するものではありません。ご了承ください。


【高橋】

都内のスナック”Truth”。そこには、極僅かの人間のみが知っている地下室がある。そこに俺はいた。
「高橋さん、準備オーケーだ」
坂東がこちらを見据え言う。彼はいわゆる極道で、かつての取材で出会った。件の宗教団体に腹を立てているのは、彼らも同じだった。
「あいつらに尻尾振る奴等もいる。オモテに出て権力を手に入れるためにな。だけど、俺達はどこまでいっても影なんだ。だから、俺達の手で引導を渡してやらねえと」
かつて、彼はこう言った。
影――。『藤井紘一』を演じる俺も、今は紛れもなく影なのだろう。
「…やるのね」
澪が呟く。このスナックの主だ。取材で知り合っただけの彼女たちにここまで迷惑をかけた。引き下がることも、負けることも許されない。
「…店の戸締りを頼むよ。それから、坂東くん」
坂東はこちらを見る。その手には護身用の短刀が握り締められている。
「『私は今から、藤井紘一だ』」
坂東と澪は、悲しそうな顔をした。手鏡で顔を確認する。整形手術は上手くいった。上背や体格はもともと似ていたのだから、見た目だけなら俺は『藤井紘一』に他ならない。声はごまかすことができない。だが、この配信が話題になれば、何の問題もない。
「『やろう。配信を開始する』」
こうして、最後の戦いが始まった。

【絵梨】

私は自室でパソコンの画面を見つめていた。「あの事件の真実に迫る」と題された暴露系の配信。なぜだか見なければいけない気がして、プレミアチケットを買っておいた。購入者宛に届いたメールから、配信画面を開く。
21時。配信が始まって間もなく、私は大声で母を呼んだ。

【高橋・或いは藤井】

「『皆さん、私のことをご存知でしょうか?私は、衆議院議員の藤井紘一と申します。今日は、皆さんにこの国の真実についてお話いたします』」

俺の存在そのものが嘘なのにな。腹の底に浮かんだ笑いを噛み殺す。藤井さん、今日で最後だ。力を貸してくれ。

「『一昨年、私が刺殺されたという報道がなされました。ですが、それは私どもが意図的に流した誤報であり、ご覧のように私は生存しています』」

ちらりとコメント欄を見る。懐疑的な声、特に生成AIの使用を疑う声で溢れている。だが、これでいい。話題にさえなれば、それでいい。

「『この二年の間、私は身を隠していました。私が襲撃されたのは、政府と宗教団体”上弦天女”との蜜月関係を国会で証言するはずだったからです』」

藤井さんが用意していた資料を手に取る。俺はそれをカメラに近づけた。澪に目配せをする。彼女はパソコンを操作し、データをアップロードした。

「『プレミアチケットを購入した方は、二番目のURLからこの資料がダウンロードできるようになりました。どうぞ、配信を見ながら資料に目を通してください。ここ数十年の災害復興予算の多くは、”上弦天女”に流れているという、確たる証拠がそこにあります!』」

コメント欄の雰囲気が変わってきた。チケット購入者が資料ダウンロード用のURLを書き込んだことも幸いした。次々と肯定的なコメントが書き込まれていく。
藤井さん、俺達が仇をとってみせるからな。

そのとき、上階から叫び声がした。

坂東は短刀を構え、部下に合図する。地下室の扉が何度も叩かれ、破られた。何人もの男たちが流れ込んでくる。
「野郎共、殺せ!!」
坂東が声を張り上げる。数発の銃声。澪が悲鳴をあげて倒れた。
「逃げろ!」
坂東が俺を隠すようにしながら、階段へと連れて行こうとした。
こめかみに冷たいものが当たって、そのあとで強い衝撃があった。
俺の意識は、そこで途絶えた。


【絵梨】

私たちは、食い入るように配信を見ていた。「藤井さん」と叫ぶ男性の声がして、配信は緊急終了した。
私はパソコンを操作し、三つ目のURLをタップした。
先ほどまで配信が行われていた部屋が、別角度から映し出された。
映像を確認する。数人の男女が倒れている。ここは地下室だろうか。階段のあたりで、父を名乗った人物が倒れている。頭部から大量に出血しており、ピクリとも動かない。
「お父さん…?」
私は顔を覆った。だが、美咲はあることに気付いた。
「絵梨、お父さんじゃないわ。その人の足首を……見て」
顔を上げ、画面を凝視する。スーツの裾からのぞく足首のミサンガに、見覚えがあった。
「…高橋、さん?」
美咲は泣いた。
高橋は『藤井紘一』になろうとしたのだろう。
おそらく、紘一の無念を晴らすために。そして、この国を守るために。
だが、亡き娘との思い出だけは手放せなかった。
私たちは抱き合い、長い間泣いていた。


【エピローグ】

高橋が行った配信から、一ヶ月が経った。
スナック”Truth”襲撃事件では、澪のみが生存した。彼女の証言と別カメラの映像が決め手になり、襲撃に関わった人間は全員逮捕された。
その中の一人が、一昨年の藤井紘一殺害について自白した。
彼は供述の中で、一昨年の殺人と今回の襲撃の双方について”上弦天女”からの依頼があったことを自供した。その数日後、彼は留置所内で突然死亡した。徹底的な捜査がされていると報道があったが、真相は闇の中へと消えた。

行方不明になった平沼の遺体は、廃ビルの一室、壊れた冷蔵庫の中から見つかった。残虐な拷問が加えられた形跡があったらしい。彼の殺害についても、これから徹底的な捜査がなされるという。

国民の多くが、件の資料をダウンロードし『真相』を知った。時の政権は退陣に追い込まれたものの、”上弦天女”の解体は、未だなされていない。

絵梨は、ベランダから月を見上げた。明日は、新月だという。爪のように細い月が、薄く輝いている。

絵梨と美咲は”上弦天女”解体を求めて行動を開始した。被害者の会を設立し、有志の国会議員と共にさまざまな活動を行った。その中には、紘一が所属していた政党の幹事長や、平沼の家族の姿もあった。

「私、負けないよ。お父さん」
小さく呟いた言葉を、夜風が運んでいく。


あとがき
繰り返すようだが、これはフィクションであり、実際の人物などとは関係がない。エンターテインメントのひとつとして楽しんでいただけたら幸いである。

平和や安寧を願う意志は受け継がれる、と僕は信じている。
どうかこの国が、この世界が、穏やかな日々を過ごせるように願う。

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ナル
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