![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/148556595/rectangle_large_type_2_5f61352a4fb522df1ebb189fb75eb705.png?width=1200)
【ショートストーリー】チャイム
私の住む町では、夕方5時のチャイムの代わりに「夕焼け小焼け」が流れている。
昨日、隣のクラスの悠斗くんが、不思議な話をしていた。
「夕方5時のチャイム、よく聞いてみな。一音だけ音程が外れてるんだぜ。その一音がなる瞬間に、駅前商店街の魚屋とたこ焼き屋の間の路地に入るんだ。怖いもんが見れるらしい!」
怖いもんってなんだよー、お前やってみろよ、えーやだよ。聞いていた子達が一斉に騒ぎ出す。悠斗くんは続ける。
「それがさ…兄ちゃんの友達がやってみたらしいんだけどさ、それきり学校に来てないって。」
まじかよ、やっべ、周りの子達は青ざめた。朱莉ちゃんや久美ちゃんも、ひどく怯えているようだった。
少し遠くで聞いていた私は、この話の違う結末を知っている。塾で舞ちゃんが言っていた。
「あの路地の向こうでは試練が待っていて、乗り越えると幸せになれる」と。
塾も中学受験も、やめちゃいたいな。
商店街に向かう道の途中、歩道橋の上でため息をついた。走る車を見下ろす。みんなと同じ中学に行きたいし、塾よりも、以前やっていたスイミングを頑張りたかった。
ママは勉強がすべてだと言うけれど、私は他のことが好きなのに。それにママは小言ばっかりだ。ちゃんと片付けろとか、挨拶をしろ、とか。
商店街を行く。いつも同じおじいさんが座っているベンチに座って、時計塔を見上げる。4時56分。そろそろだ。私は魚屋を目指して走り出した。今日はおじいさん、いなかったな。
試練が何かはわからない。でも舞ちゃんの言うように試練が待っているなら、それをクリアして「塾も受験もやめたい」とお願いするつもりだった。悠斗くんの言う「怖いもん」が何かはわからないけど、きっと大丈夫だ。ママがいつも言っている。乗り越えられない試練はない、って。
魚屋とたこ焼き屋の間に、私は立った。少しだけ息が上がっている。走ったからなのか、緊張からなのか、わからなかった。深呼吸をする。はーっと大きく息を吐いたそのとき、5時のチャイムが鳴った。
私は耳をすました。舞ちゃんから話を聞いてから、何回も確認した。音程が外れているところまで、あと少し。
今だ!
私は路地に飛び込んだ。そこには何もなかった。なあんだ、嘘だったのかあ。
がっかりしながら路地から出る。塾に行く前にご飯を食べに戻らなきゃ。私は走り出した。
何か変だな、と思ったのは商店街を抜けたあたりだった。誰もいない。いつもならもっと買い物をする人たちでにぎわっているはずだ。
今日って、何か特別な日だったっけ。
急に不安になってきた私は、どうしてか商店街の来た道を戻ることにした。また戻らなければいけない。そんな気がした。
途中、時計塔の近くのベンチに人影があるのを見つけた。なあんだ、人がいるじゃん。近づいてみると、いつも座っているおじいさんだった。
「こんばんは。お嬢ちゃん。」
おじいさんが発した声は、まるで少年のようだった。背中がぞくっとする。
「よく来たね。元の世界に帰りたい?」
おじいさんは、私の返答を待たずに続ける。
「時計をご覧。今は4時53分。今から7分のうち、もう一度5時のチャイムが鳴るまでに、君は家に帰らなければならない。たとえ、どんなことがあっても、何を見ても。」
「お家に、帰るだけ…?」
「そう。だけど気をつけて。帰ることだけを考えるんだ。」
ほら行きなさい、おじいさんはそう言うと商店街の奥に消えた。
私は走り出した。お家はここからすぐだけど、急がなければならない。「何か」が起きるのだとしたら、急がなきゃ。
商店街を出てすぐの駐車場に、子供たちの姿があった。白い花をかたどったお面をしている。それでも、そこにいるのは朱莉ちゃんや久美ちゃん、舞ちゃんだとわかった。
「美穂ちゃん、遊ぼうよ。」
みんなの声ではなかった。低く、くぐもった声。私は加速して、走り出す。
「あそぼう、あそぼう、あそぼう!」
追いかけてくる。駐車場から離れていくと、お面の花が白から赤に変わり、やがて枯れてしまった。3人はその場に倒れこんだ。私はとっさに助けようとした。
「たとえ、どんなことがあっても」
おじいさんの言葉に、我に返る。そうだ、これは試練だ。あれはみんなじゃない、みんなじゃないはずだ。走らなきゃ、走らなきゃ。
私は走った。お家の見えるあたりまで来た。お家の前に、あのおじいさんが、立っている。
「よく来たね。」
そう言ったおじいさんの足元には、枯れた3輪の花があった。おじいさんはそれを踏み潰す。きいい、と音がした。
「玄関を開けて、お入り。」
「…みんなは、どうなっちゃったの?」
「どうにも。これは、君の友達の形をしていただけ。君の友達じゃないよ。」
私はドアを開けた。中に入る前に、おじいさんを見る。
「あなたは、誰?」
「僕のことなら、きっと聞いたことがあるよ。」
ちゃんと帰りなさい。おじいさんはそう言った。ドアが閉まる。
やっと、試練が終わった。そう思ったのに、お家には誰もいなかった。
また玄関を開ける。物音ひとつしない町並みが広がっていた。
どうして。まだ終わってないの?
私はその場にうずくまった。もうきっと5時になる。このまま、元の世界に帰れないかもしれない。
塾も、受験も嫌だ。だけど、もうみんなに会えないのはもっと嫌だ。
「ちゃんと帰りなさい。」
おじいさんの言葉を思い出す。
「外から帰ったらちゃんと…。」
ママの言葉を思い出す。私は涙を拭い、大きな声で言った。
「ママ、ただいま!」
夕方5時のチャイムが鳴った。
「お帰り。遅かったね。」
リビングから、ママの声がした。私は靴も脱がずに走り出した。ママに抱きつく。
「美穂、なんで靴も穿いたまま…」
言いかけたママは、大泣きしている私に驚いて、それから頭を撫でた。何も言わずに撫でてくれた。
チャイムの音程は、まったく外れていなかった。
ママは何かを勘違いしたみたいで、塾はもう行かなくていいし、受験もしなくていいと言ってくれた。私は、スイミングを頑張りたいことを伝えた。私の願いは、本当に叶った。
あれ以来、チャイムの音程は完璧になった。朱莉ちゃんも久美ちゃんも元気だし、この間久しぶりに舞ちゃんにも会えた。
悠斗くんにあの話のことを聞いてみた。「そんな話したっけ?」と彼は言った。本当に忘れているようだった。
あのおじいさんは誰だったんだろう。ときどき思い出す。もう会うことはないだろうけれど、助けてくれてありがとうって言いたい。
私はいつか水泳選手になりたい。そうしたら、あのおじいさんも見てくれるかな。
玄関のドアを開ける。私は今日も、ちゃんと帰る。
「ママ、ただいま!」
いいなと思ったら応援しよう!
![ナル](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/153210531/profile_7d972c80359387b03861b105aa29193d.jpg?width=600&crop=1:1,smart)