16番目の月(上)
※この作品はフィクションであり、実際の人物・団体・事件とは関係ありません。また、特定の政治的・宗教的思想を否定するものではありません。ご了承ください。
【藤井】
私は月を見上げた。
16番目の月。満ち足りた時を終え、欠けていく運命の月を。
その事実に気付いたのは、近年頻発する災害の復興予算について調べているときだった。大きな額が支出されているにも関わらず、被災した各地の状況が一向に改善していない。人手不足等様々な要因があるのだとしても、その進捗はあまりに遅いと感じていた。
金の流れを追う内に、その金がとある宗教団体に流れていることが判明した。その宗教団体”上弦天女”はかねてより、数々の政治家との関係が取り沙汰されていた。非合法・暴力的な寄付金集めや勧誘が問題視されており、その解体に向けて国が主導となる”はず”だった。しかし、未だに大きな動きはない。
その事実に気付き、私は所属する政党の幹部に報告した。
幹事長は煙草の煙をくゆらせながら
「すべて忘れたほうが良い」
とだけ言った。怒りで叫びだしそうになる私を制して、彼は一枚の写真を見せた。
「かわいいだろう?」
幹事長と彼の娘が手を振っている写真。今年7歳になるという。
娘の足元に小さな文字で
「見張られている。これ以上は口外するな」
と書かれていた。私たちの敵は、思う以上に強大だった。
政党本部を後にして歩いていると、一台の車が停まった。窓が開き顔を覗かせたのは、旧友の平沼だった。彼は警察官である。いわゆる組対に所属している。
「…その顔、言いたいことは同じみたいだな。乗れ」
ぶっきらぼうな物言い。こういうときの平沼は、気が立っている。私は車に乗り込んだ。彼は味方でいてくれると信じて。
後部座席に一人の男が乗っていた。
「…信頼できる人間か?」
私が訊くと、平沼は笑った。
「そいつがリーク元だよ。高橋っていうフリーの記者だ」
高橋は軽く頭を下げた。
お互いが持っている情報や状況はほぼ同じだった。上層部にこれ以上の関与を禁止されたことまで。
「…どうするつもりだ?」
平沼に尋ねると、彼は舌打ちをして
「こんな状況、放っておけるわけないだろう」
と言った。高橋が口を挟む。
「おそらく、他の政党や公安にも関係者がいます。ここは慎重にいくべきです」
私も賛成だった。平沼はため息をついて
「…できることはやってみる。俺は警察官だ」
と言った。高橋と私をそれぞれの家まで送り届け、彼は去って行った。
それが、彼を見た最後になった。
一月の後、私は高橋と再会した。
「…平沼さんの行方不明について、どの新聞社もテレビ局も報道してくれません。おそらく、奴等が手を回しているんでしょう」
痩せた頬をかきながら、高橋は言った。
「君も、手を引きなさい。ここからは私に任せて」
「それは駄目だ!」
高橋は叫んだ。狭い車内に彼の声が反響する。
「あんたには娘さんも奥さんもいるじゃないか。俺の家族はもう死んだ。十年前の地震でな。戦うなら、俺なんだ。…じゃなきゃ、顔向けできねえ…」
「…だからこそ、私が戦うんだ」
愛する家族のために、すべてを失った人間のために。
「私は、政治家だからな」
高橋を家まで送り届けた。
別れ際、私は彼と握手をした。同じ高さにある目が合う。
「…私を、信じてくれ」
「ああ、信じてる。だから、死なないでくれ」
彼はそう言って家へと入っていった。
自宅の駐車場に車を停めた。どこに『耳』があるかわからない以上、自分の車の方が安全だと判断し、運転は自分ですることにしていた。
家に入る前に、月を見上げた。
16番目の月。満ち足りた時を終え、欠けていく月。
それは、まぎれもなく今のこの国に他ならないのではないか。
平沼、高橋。
戦友の名を呼んだ。必ず、この戦いに勝つぞ。
玄関へと向かう。
背中に強い衝撃があった。焼けるような痛みが走る。
男がすぐさま私から距離をとった。懐から新しいナイフを出した。
背中に触れると、何かが突き刺さっているのがわかった。おそらくナイフだろう。
こんなところで、終わるのか。
「…畜生」
男がナイフを振り上げた。首に強い衝撃があった。
懐かしい夢を見た。幼い娘の手を引いて歩いた河川敷。
「パパ」
絵梨の声がした。
冷たいアスファルトの感覚が、最後になった。
【絵梨】
父の遺体には二十箇所以上の傷があった。抵抗した様子がないことから、死亡した後に何度も刺されたとみられる、らしい。
葬儀にはたくさんの人が訪れた。幹事長だという人は「申し訳ない、申し訳ない」とうわ言のように繰り返していた。
葬儀が終わって一週間。ひとりの男性が尋ねてきた。
「高橋といいます」
そう言って頭を下げた男性の背格好が父に似ていて、私はとても驚いてしまった。他人の空似というやつだろうか。
仏壇に手を合わせる高橋の足首に、何かが巻かれているのに気付いた。
「ミサンガ…?」
私が呟くと、高橋は顔を上げて
「震災で死んだ娘が、くれたものなんです」
とはにかんだ。
高橋が帰宅すると、母の美咲は
「お父さん、いい友達がいたのね」
とだけ言った。その目からは、涙があふれていた。
【高橋】
俺は決意した。
取材で集めた連絡先の中から必要な番号を探し、電話をかけた。
俺は、藤井さんと上背も体格もほぼ一緒だ。
髪型は多少の誤差があってもいい。どの道時間をかける必要がある。
腕のいい”闇”美容外科医を取材していた甲斐があった。
あの最後の日、藤井さんは握手と同時にUSBを手渡してくれた。その中には、俺が持っている以上の情報があった。
しかし、ただ公表したとして握りつぶされることは目に見えていた。
だがもし、死んだはずの藤井紘一がそれを公表したら――?
今日、『俺』は死ぬ。それが唯一の手段だ。
暴力ではない。情報で、俺はこの戦いに勝つ。
藤井紘一を、死なせはしない。