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【#シロクマ文芸部】正しきレモン
レモンから酸味を奪ったような男だな。
目の前の男を見て思う。甘い。ルックスも、声色も、発言も。
『かわいい系』男子と自分では思っているのだろう。袖を指先のほうまで引っ張り、眉の下まで伸ばした癖のある金髪を、くるくると弄んでいる。よくわからない甘いにおいがする香水。伸びる語尾。ときどき使う上目遣い。
同期に誘われ人数合わせのために来た合コンで、この酸味無し出涸らし男―出涸らしレモンと呼ぼう―に出会った。妙に気に入られて、半ば無理矢理連絡先を交換させられた。
今日も、こいつの誘いにのるつもりはなかった。LINEの返事をしないで放置していたのに。
数日前、お気に入りの漫画『心凪いでなお』の新刊を買いに本屋に寄ったら、偶然にもこの出涸らしレモンがいた。
「鈴花ちゃん、運命だねえ!」
そう笑った出涸らしレモンを無視し、会計に向かう。そこで気付いたのだ。
財布が、ない。
「あれ、鈴花ちゃん。もしかして、財布、忘れちゃったあ?」
出涸らしレモンはそう言うと返事も待たずに、漫画の代金を支払い、去っていった。
お礼の連絡をせざるをえなくなった。その流れで、今日の食事会の開催が決定した。あのときの私よ、なぜ財布を忘れたんだ!
「鈴花ちゃん、何か飲むう?」
語尾伸ばしてんじゃねえ!
心の中で毒づきながら、ビールを注文する。ああもう、適当なところで帰ろう。
「そういえば、鈴花ちゃんに俺が買ってあげた漫画なんだけどさあ」
『俺が買ってあげた』の部分をやや大きめに言う。金なら返すから、もう黙ってほしい。
「あれさあ、そんなに面白い?」
「…は?」
ビールを持ってきた店員は、私の怒りに気付いたようだ。無言でビールを置いて、静かに去っていく。
「期間限定配信のためし読みで3話まで読んだんだけどお、なんっかさあ、何も起きなくて退屈っていうかあ」
箸をテーブルに叩き付けた。それでも出涸らしレモンは喋り続ける。
「映画部の学生の話なら、もうさっさと映画作んないとタイパ悪いっつーかあ」
「…あれの良さ、わかんないの?」
ジョッキを握る手に、力がこもる。
「わかんなーい。だって3話しか読んでないしい」
そう言って大笑いした出涸らしレモンの顔面に、私はジョッキを投げつけた。叩きつけるように、机に一万円札を置く。
「…帰る」
「ちょ、鈴花ちゃん!ひどいよ、痛いしさあ!」
「うるっさい!!」
居酒屋が静まり返る。皆がこっちを見ている。私は全員を睨みつけてから、出涸らしレモンを怒鳴りつける。
「『心凪いでなお』の良さが、繊細さが!わからない奴と!酒を飲むつもりは、ない!!二度と顔見せるな!!」
バッグを持ち、居酒屋をあとにした。
後日、あの出涸らしレモンは、私のほかに6人の女にアプローチしていたことがわかった。友人から合コンへ誘ったことへの謝罪の連絡があったが、私は気にしていない。
あの日、居酒屋に居合わせた人のなかに『心凪いでなお』のファンがいたのだ。
出涸らしレモンを怒鳴りつけ店を出てしばらくすると、二人の女性に声をかけられた。二人は騒動でスカッとしたと笑い、友達にならないかと提案してくれた。あたふたする私に、二人は『心凪いでなお』の新刊を見せた。
「この漫画の良さなら、いくらでも話せるでしょ?」
そう笑った二人の香水は、涼しげなレモンミントの香りだった。
了
こちらに参加させていただきました。
個人的にはレモンというと、あの名曲や青春のイメージが強かった。だからこそ、180度違う話にしてみた。恋愛より推し活。
「鈴花」は日向坂46・富田鈴花さんからお借りしました。すーじー。歌唱力・存在感。すーじーいないと始まらないよね、って思うこと多々。
すーじーさんは、こんなに大暴れしないと思う。過激なキャラにしてしまって申し訳ない。ずっと応援してます。
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