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【短編】彗星

君が眠りに就いて、六千と二十九日が過ぎた。
ひどく長い時間だった。たったそれだけのことだ。僕は今日も、君の何一つ変わらない頬に触れる。19歳の頃と、変わらない。たくさんの医療機器と繋がっていることを除けば、何も。


極めて稀な病気です。
この病気になると、人間は歳をとらなくなります。
その代わりに、ある日を境に眠りに就いて、目を覚まさなくなります。それぞれの症例によって期間は違いますが、永久に目を覚まさないこともあります。
きっかけとなるような出来事で目を覚ます場合もありますが、それはこの病気の発症よりも、極めて稀なことです。ただその場合、もう一度発症することはありません。


「そんな低い確率なら、宝くじか隕石のほうがよかったー。」
医者の説明を聞き終えると、ため息混じりに君が言った。隕石という言葉を聞いて、君らしいなって大笑いした。君と二人でずっと笑って、医者を困らせた。泣きながら笑った。ずっと、笑った。

その日から、5日後。
君の、長い長い眠りが始まった。

19歳だった僕たち、いや僕は35歳になった。
おじさんになった僕を見たら、君はなんて言うんだろうね。しわも気になるようになった。もう、白髪染めが必要なんだよ。
笑ってくれるかな。
別れる、なんて言われたらショックだな。

点けっ放しにしたテレビからアラート音がする。またか、と思いながら見ると『彗星警報』の文字が表示されている。

近年、特殊な電磁波を放つ彗星が地球の近くで観測され始めた。
一部の機械や人間の体調に影響を及ぼすことから、各国の宇宙機関が警報を出しているのだ。

僕は君のそばの椅子に腰掛けたまま、テレビの音量を上げた。そのとき、再びアラート音が鳴った。何度も、何度も。
画面はそれまでの音楽番組から、ニュースに切り替わる。


臨時ニュースをお伝えします。
特殊彗星臨時情報です。複数の特殊彗星が、地球のすぐ近くまで接近しています。医療機器の停止をはじめとした、生命に直結するような出来事が起きる可能性が極めて高くなっています。繰り返します…


医療機器の停止、だって。
僕はパニックになった。このままでは君の命が危ない。急いで病院に電話をかける。だが、繋がらない。
「…くそっ、どうしたら…」
テレビのニュースは断続的に停止し、そのうち映らなくなった。部屋の電気は明滅を繰り返し、消えてしまった。
「こんな、こんなことって…。」
僕は君の手を握った。医療機器は次第にエラーを表示し始めた。

そのうちに、僕はひどい頭痛に襲われた。特殊彗星のせいか。だんだんと、意識が遠のいていく。君の手を強く握った。もっと、一緒にいたかった。
世界は、静寂の夜に包まれた。


朝が訪れた。
繋いでいたはずの君の手はそこになく、何かが僕の頬を撫でている。

『きっかけとなるような出来事で目を覚ます場合もありますが、それはこの病気の発症よりも、極めて稀なことです』

僕が飛び起きると、君は笑い出した。
「思ったより、かっこいいおじさんになったね。」
そう笑った君を、僕は泣きながら抱きしめた。

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