![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/150925413/rectangle_large_type_2_a2c6c06f011c90d1405bca406b2f8d44.png?width=1200)
なりかわり(上)
厳は狙いを定めた。
今でこそ妖怪に成り下がってしまったが、相手は名のある「山神」だ。油断をすれば、間違いなく殺される。
姿は狢であるが、動きの速さが尋常ではない。爪と牙が異常に伸び、粘性のある涎は、緑がかっている。
厳は足元の枯れ葉を踏んだ。がさ、という音に狢が振り返り、こちらに飛び掛かって来る。その瞬間、足元に仕掛けられた罠を踏み、動きが制限された。厳の狙い通りだった。
銃声が轟き、狢はその場に倒れこんだ。
「…やったか?」
しばらくの間、厳は茂みから出なかった。神だったものたちは、みな強かで、ずる賢い。生き残るためならば、死んだふりくらいは平然とする。
動く気配がない。念のためもう一発銃弾を撃ち込んでから、狢に近づく。傍らに座り、手を合わせ、念仏を唱える。狢はまだかろうじて生きているようで、厳を見据え話し出した。
「この山は、私そのものだ。…ヒトは、なんの感謝も無く、ここから命を奪っていく。私の名すら忘れておる。許さぬ、許さぬ…。」
厳は念仏を唱えるのをやめ、狢に「山の名」を告げる。
「…俺は忘れん。そなたという偉大な神がいたことも、山の名も。」
決して忘れぬ。涙を流しながら話す厳を、狢は見つめる。
「…不思議な人間だ。死に行く神のために泣くというのか。」
「ああ。俺が殺したのだから。…その苦しみも、無念も、俺が背負うのだ。今までも、これからも。」
「…そうか、ならば忠告してやろう。」
狢は山のふもとに目をやる。
「あの村には、私と『同じもの』がいる。気をつけよ…。」
それきり、狢は動かなくなった。厳は、日が暮れるまで念仏を唱え続けた。
夜になった。厳は狢を抱え、村に戻ってきた。
厳に依頼をした村長をはじめ、数人の村人が出迎える。
「おお…山神さまか。それが山神さまなのか。」
少しだけ悲しそうな顔をして、村長が狢に触れようとする。厳はそれを制した。
「慣れていない者が神に触れるのは止したほうがいい。」
そう言って、狢に触れていた掌を見せる。火傷をしたように爛れていた。
「…なんと!」
村人たちからざわめきが起きた。村長が水を持ってくるように村の者に促した。厳は苦笑いをしながら、それを制した。
「じき良くなる。その代わりと言ってはなんだが、村長。話がある。」
厳は人払いをしてもらい、村長と二人で話し始める。
「…この村で、何かよからぬことが起きてはいないか?」
厳は髭を撫で、あたりを見回しながら尋ねる。別段何かが起きている様子はない。
だが、妖怪に成り下がったとはいえ、あの狢は誇り高き山の神だ。死の間際に意味のない嘘をつくとは考えづらく、警戒する必要があるのはわかっていた。
村長は周囲を見回しながら、厳を物陰に連れて行く。小さな声で話し始めた。
「…あの山の神が『堕ちる』前、近くの川で洪水がありました。多くの村人が、流され死にました。」
村長は、今でもそのことが悔しいのか、涙を堪えている。
「そのときに、不思議なことがあったのです。流されたはずの、おきぬという娘が、生きて戻ってきたのです。」
「…ほう。」
「多くの村人が、おきぬが濁流に飲まれるのを見ました。私の甥などは、死体まで見たと言っています。しかし、次の日の朝、おきぬは平然と、村におりました。」
村長の顔が、みるみる青白くなる。
「皆、幽霊だと噂しています。ですが、おきぬは悪いことをしているわけではなく、洪水の前となんら変わりなく生活しています。以前からとても優しい子でしたが、今も近所の爺さま婆さまたちの面倒を見てくれています。」
私には、そう言って村長は言葉に詰まる。
「…私には、あの子が悪いものになったとは思えない。だから、村の衆を説得して、おきぬのことはそのままにしていました。きっと…未練があってこの世に戻ってきたのだ、ならばせめて、それを晴らすまで村にいてもらおう、と…。」
村長は泣き出した。村を、そこで暮らす民を、大切に思っているのだろう。もちろん、おきぬのことも。
「…厳さまを見込んで、お願いがあります。おきぬを、あの子の魂を、天に還してやってください。」
村長はそう言って頭を下げた。
「…わかった。その間の飯と宿だけは支度してくれないか?」
村長は顔をあげた。そして再び頭を下げる。涙声で、ありがとう、ありがとうと繰り返す。
霊の類か、はたまた別のものか。厳は思案していた。
既に夜が深くなっている。おきぬに会うことは諦め、村長の支度してくれた宿に行くことにした。
「…どうしたものか。」
霊の類ならば、未練を晴らしてやるという選択もできる。だが、おきぬに妖怪が成り代わっていた場合、戦う以外の選択はない。そしてその場合は、一刻を争う。
厳さま、と若い男の声がした。入るように促す。上背が五尺三寸(約159cm)の厳よりも、頭ひとつ分大きな痩せ型の男が入ってくる。
「村長の甥の、吾介と言います。この度は、化け物狢の討伐、ありがとうございました。」
食事をお持ちしましたので。そう言いながら、膳を置いていく。
「それと、あの娘。おきぬをさっさと祓ってくださいませ。」
貼り付けたような笑みを浮かべ、吾介は去っていった。
「…いけ好かんなあ。」
思わず呟いてしまう。村長の甥だというが、ああも違うものか。仮にも村の人間を『さっさと祓う』だの、長年祀ってきた神を『化け物狢』だのと、いささか口が過ぎる。
あとで弔おうと思い、小さな棺に入れた狢を見る。あんな言われようはないよな、心の中で声を掛ける。
「全くだ。この私を化け物と言いおって。」
狢の声に、咄嗟に銃を構えた。だが、棺から出てくる気配もなく、あたりにその姿もない。
「ここだ、ここだ。」
膳の上から声がした。見ると、栗鼠よりも小さな毛むくじゃらの生き物が、豆腐をむさぼっていた。
「旨いな。豆腐はいいものだ。」
「…お前、山神か?」
「ああ、死に損なった。棺を開けてみるがいい。」
厳は急いで棺のふたを開ける。そこには山ほどの栗と胡桃が詰まっていた。
「土産だ。」
狢―というより、今は栗鼠に近い―は胸を張る。厳はため息をついた。
「また、悪さをするつもりか?」
いいや、と山神は答える。
「あの山で静かに過ごすさ。もう、神としての力もわずかしかない。本来は死んでいたのだからな。」
「…俺も、たしかに殺したはずだが。」
厳は銃を下ろした。箸をつかみ、玄米を食らう。私にもよこせ!と山神の声がする。
「…おきぬという娘のことだがな。」
厳は食事をやめた。
「あの娘が、お前のいう『同じもの』か?」
「いいや、違う。だが、あの娘のおかげで私は生きているし、あの娘が現世に留まっているのは、とある化け物のせいだ。」
山神はすん、と鼻を鳴らす。豆腐を急いで食べたあと、厳の肩に乗る。
「時間がないぞ、神殺し。おきぬが、悪霊になりかねん。」
その言葉を聞き、厳は銃を持つ。
「どこだ、どこに行けばいい?」
「吾介と名乗った男を追え。あれが、おきぬとこの村を害する。」
厳は宿を飛び出した。走りながら、肩に乗っている山神に尋ねる。
「吾介という男は何者だ?」
「あれは、村長の甥ではない。お前の察しているように、人でもない。」
山神は匂いを嗅いで、厳に方向を指示する。村を離れ、山神のいた山に向かう。
「あの男が『同じもの』か?」
ふん、と山神は鼻を鳴らした。
「今となってはな。だが、私と違って、あれは生粋の化け物だ。神として祀られたことなどありはしない。」
「…そんな奴の持ってきた飯を食ったが、大丈夫なのか?」
問題ない。山神は言う。
「人間に効くような毒は、豆腐にしか入っておらんかったよ。馬鹿な奴だ。詰めが甘い。私の存在も見落としていたしな。」
そのとき、甲高い女性の悲鳴がした。厳はそちらに向かって駆け出す。
「気をつけろよ、神殺し。純粋な強さだけなら、あれは私より上だ。」
こっちだ、と山神が示す。走る。
開けた場所に出た。そこには、おきぬを庇うようにして血を流し倒れている村長と、棒を振り上げる吾介の姿があった。
躊躇いなどない。すぐさま吾介の頭を撃ち抜く。その場に崩れ落ちるかに見えたそれは、形を変えながら、再び起き上がる。
首のない『吾介』が身体をこちらに向ける。腕は、左右十対はあろうか。その先にあるのは掌ではなく、顔だった。腹や膝、あらゆる部位に顔がある。
「…あれは何だ。あんなもの、伝承にはないぞ。」
厳は山神に尋ねる。次の弾はもう装填してある。
「『なりかわり』だ。人の嫉妬から生まれた化け物。殺し方は教えてやる。だがまずは、あの娘を逃がせ。」
おきぬは、村長を起こそうと必死になっている。だが、村長は頭でも打ったのか、気絶しているようだ。
二人となりかわりの間に割って入る。
「逃げろ、おきぬさん!」
言葉と同時に撃った。なりかわりの腕が一本吹き飛ぶ。おきぬは、村長を見捨てられず、その場から動かない。
「…おい、神殺し。仕方がないから、このまま戦え。」
「どうすればいい、教えろ!」
「そこの枝を拾え。」
山神が小枝を指し示す。なりかわりから目を離さぬように拾い上げる。見る間にそれは、槍の形をなしていく。
「…なんと!」
「山神特製の槍だ。あの『なりかわり』を『祓う』にはぴったりだろう?」
厳は槍を構え、なりかわりと向き合った。
(下)に続く。
いいなと思ったら応援しよう!
![ナル](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/153210531/profile_7d972c80359387b03861b105aa29193d.jpg?width=600&crop=1:1,smart)