かたわれ(下)
厳と蒼介は、山にある月見の祠に着いた。
「…奴がいる。」
男は祠の前に立ち、抜き身の刀を持っている。厳は銃を構え、男に声をかけた。
「『人斬り弥太郎』、刀の神のかたわれだな。」
「…ああ、そうだよ。神殺しの厳。随分と久しぶりだな。」
男の刀が、妖しく光を放つ。厳はその刀を見、歯軋りをした。
「お前…。まさか、その刀をまだお前が持っているとはな。」
「当たり前だろう。私たちはもともと一人だったのだから。」
蒼介は刀を抜き、叫ぶ。
「りんはどこだ!」
弥太郎は、今はじめて蒼介に気付いたように彼を見る。
「…あの娘なら、斬って捨てた。」
「貴様…許さんぞ!」
蒼介は弥太郎に斬りかかろうとする。しかし、それを厳が制した。
「厳さま、何をなさる!」
「奥の社殿に、人の気配がある。俺が奴と戦う間に、中に入ってりん様を逃がしなさい。」
そう言うと、一切の躊躇なく弥太郎を撃った。蒼介は、弥太郎の視界に入らぬように、社殿を目指す。
「…挑発には乗らぬか。歴戦の猛者は違うな。」
弥太郎は、弾の当たった腕を見ながら言った。見る間にその傷は再生していく。
「…人を何人殺せば、そこまでの『化け物』になるのだ。」
厳は再び弾を装填しながら問う。予想していたよりも、数段上の妖力を持っているようだ。
「…大坂の商人は皆、面白いものを持っていたよ。『神の肉』というそうだ。」
厳の動きが止まる。弥太郎を見据え、問う。
「紛い物ではなく、本当の神の肉だというのか。」
「ああ、そうだ。奴らは、各地の神を殺し、喰ろうていた。それを私が殺し、奪った。商人どもも喰ってやったわ。おかげで、力が漲る。」
「…まさか、そんなものが出回っているとはな。」
弥太郎は、厳を睨む。
「貴様のような『神殺し』が、我々さえ食い物にしている。逆に喰らって何が悪い。」
「善悪の判断はせん。……俺がお前を殺すのは、仇討ちのためだ!」
厳は銃を放った。それは弥太郎の頭部に命中する。頭が吹き飛んだまま、弥太郎は厳に向かって跳躍し、斬りつける。
厳は身をかわし、咄嗟に小刀を投げつけた。それは、弥太郎の腹部に突き刺さる。
頭が再生し、弥太郎は再び話し出す。
「仇討ち…?ああ、あの土地神か。弱く、醜い神だった。なぜ、あんなものに固執する?」
「…黙れ。」
「お前には何もなかったからな。あの土地神が知ったら泣くだろう。お前が『神殺し』になったと知ったらな。」
弥太郎はにやりと笑い、腹部の小刀を抜き、厳に向かって投げつけた。厳はかわすことが出来ず、左腕でそれを受けた。
俺と、ヨモギが出会ったのは、暗い空の広がる雨の日だった。
神社の境内で、俺は泣いていた。『見えないものが見える』俺のことを、皆気味悪がっていた。ひとり暮らしていた山間の小屋は、先日誰かに焼かれてしまった。
「…どうしよう。」
空を見る。雨がいつまでも降り止まない。住む場所も、家族も、ない。
「ねえ、君、僕が見えるんだろ。」
その声に振り返る。『見えないもの』であることは、すぐわかった。目が左右に三対。真っ白い髪を長く伸ばした童だった。
「僕は、ここいらの土地神さ。君、僕と友達になろうよ!」
童は、ヨモギと名乗った。昔、俺と同じような人間に貰った名だと言った。
「遠い昔なんだ。きっと、もうこの世にいない。」
ヨモギは寂しそうに笑った。
「だから、君が僕をそう呼んでくれ。」
名前を訊かれ、厳だと名乗る。
「君の名前は、誰がつけたの?」
「…わからない。親は、いないんだ。」
「そっか。でも誰かが名づけてくれたんなら、その人はきっと大好きだったんだね、君のこと。」
ヨモギはにっこりと笑う。そうだ、と言い神社のほうへ走っていく。
少しすると、両手いっぱいの団子を抱え戻ってきた。
「お供え物だよ。厳も一緒に食べよう!」
その日から、俺とヨモギは友達になった。
いつものように、ヨモギに会うため神社を目指した。
その日は冬で、雪が積もっていた。いつもと周囲の空気が違うような気がしたが、ヨモギに会いたくて俺は急いだ。
階段を駆け上がる。境内のほうから、大きな声が聞こえる。
「ヨモギ、来たよ。」
声をかけた俺が見たのは、雪の上で真っ赤に染まったヨモギだった。
「…ヨモギ!」
駆け寄ろうとした俺の前に、刀を持った男が立ちはだかった。殺される―。そう思って身をかがめたが、男は何かしらの言葉を刀にかけ、去っていった。去り際に、刀が「ごめんね」と呟いた。
ヨモギは、もう動くことはなかった。
「…あの日から、俺は人斬りについて、情報を集め続けた。」
厳は、腕から小刀を抜く。弥太郎を見ずに、話を続ける。
「刀に話しかける人斬りがいることは、ほどなくわかった。辿っていくうちに、そいつが結晶を落としていくこともわかった。そして、神の成れの果てだともわかった。」
「あの神のために、随分と熱心だったんだな。」
「…ああ、ヨモギはたったひとりの友達だったからな。だから」
この復讐は果たす。
そう呟いた厳の手元から、小刀が消えた。弥太郎の視界が、真っ赤に染まる。
「…何をした!」
「この間、神馬を見送った。そのたてがみを、使わせてもらった。」
小刀が、弥太郎の首を刎ねた。
「…貴様、神の遺骸を殺しに使うとは!」
刎ねられた首が叫ぶ。身体だけでも、厳を斬ることはできる。『かたわれ』がいるのだから。
「やれえぇぇっ!」
刀を振り上げようとするが、腕が動かない。『かたわれ』が、動かせないくらい重い。
――もう、やめようよ。
厳と弥太郎の耳に、声が響く。
――厳。もう僕たちのことを、終わりにしてくれないか。
「やめろ、やめろ、かたわれ!私たちは正しい。悪いのは、人だろうが!」
弥太郎の首は叫び続ける。それでも、刀は持ち上がらない。
――撃ってくれ、厳。
厳は腕の痛みに耐えながら、弾を装填した。
「やめろやめろやめろやめろぉぉぉぉ!裏切るのか、お前は私だろう、なぜ裏切る!」
――僕は、ずっと誰も殺したくなかったよ。
その言葉を聞き、弥太郎は愕然とする。言葉を発せなくなった首から、赤黒い結晶がぽろぽろと落ちる。次第にそれは砂となり、風に運ばれていく。
「いいんだな。刀の神よ。」
厳は銃を構え、問う。
――頼む。そして、あの土地神のことは、悪かった。
銃声が響いた。弥太郎の体は結晶を撒き散らしながら、地面に落ちた。
刀が「ありがとう」と呟いた。弥太郎の肉体と刀は、さらさらとした砂になって、消えていく。
「…終わったのですか。」
蒼介が、りんを連れて駆けてくる。
「…ご無事でしたか、二人とも。」
厳はその場に座り込んだ。身体から力が抜け、立てない。
「大丈夫ですか!」
りんが傍らにしゃがみこむ。蒼介もその隣にしゃがみこみ、厳の止血をする。
「…あの神は、死んだのですか。」
りんが問う。厳は、彼らのいた方を見ながら、答えた。
「…おそらくは。刀の方が、死を望んだ。それはつまり、もともとひとつであった彼らが、完全に別個の考えを持つようになった、ということです。」
「…経緯は兄上から聞きました。考えが違えば、神は死ぬのですか。」
いや、と厳は否定する。りんと蒼介を見て言う。
「弥太郎は、刀が自分と同じ考えだと信じていた。だからこそ、神も人も殺し、『正しさ』を示そうとした。その根幹が揺らいで、弥太郎は自分を保てなくなった。」
お二人のように、と厳は続ける。
「お二人のように、信頼し、互いに話をしていたのならば。弥太郎も、ああはならなかったのかもしれない。そして、俺は負けていたでしょう。」
厳は、天を仰いだ。雨が上がり、月が見えている。
ヨモギ、終わったよ。やっと、やっと終わった。
厳の頬を、涙が伝っていく。
「もう、行くのですね。」
ええ、と笑った厳の腕の傷は、わずか二日で塞がっていた。
「…不思議ですねえ。」
りんはまじまじと腕を見る。蒼介はりんに注意しながらも、同じように腕を見ている。厳は苦笑いをしながら話し出す。
「…おそらく、奴を刺した小刀で刺されたためでしょう。奴は、『堕ちた』存在でも神だった。その血が、早く傷を癒したのでしょう。」
二人は声をそろえ、ほおお、と言った。その様子がおかしくて、厳は笑う。
「どうかこれからも、仲良くあられよ。」
「…厳さまは、どこへ向かうのですか。」
「弥太郎の言った『神の肉』のことが気がかりです。西へ行き、調べねばならない。」
「そうですか、西へ…。」
どうかお気をつけて。そう言う二人と別れ、厳は歩き出した。
途中にあった地蔵に手を合わせ、ヨモギの幸せを願った。団子を供え、立ち上がる。見上げた空は、晴れ渡っている。
地蔵が小さく揺れた気がした。じっと見ていると、その後ろに子犬がいることに気付いた。
「団子、食うか?」
犬は喜んで食べ始めた。少女が走ってきて、犬を撫ではじめる。厳を見上げ、笑う。
「おじさん、ヨモギにお団子をありがとう!」
厳は目を見開いて、それからヨモギと呼ばれた犬を撫でた。
「…大切にするんだぞ。」
少女は厳を見て、にっこり笑って答えた。その姿が、幼き日の自分と重なる。
「もちろん。だって、ヨモギは友達だもん!」
――君、僕と友達になろうよ!
あの懐かしい声が、聞こえた気がする。
了