
かくれんぼ(一)
源がその山村を訪れたのは、寒い冬の夜だった。
「…随分と静かだな」
人がいないというわけではない。それどころか、物陰からこちらを見る幾人もの気配を感じる。皆、強い敵意を向けているようだ。
――襲ってくるやもしれんな。
源は背負った銃に僅かに触れた。人を撃つつもりはないが、威嚇にはなるだろう。
西を目指すうえで、ここは通らざるを得ない。この冬の時期に峠越えは避けたいし、『神の肉』の情報には一刻も早く辿り着きたいからだ。
考えをめぐらせながら歩く源の後頭部に、雪が投げつけられた。
物陰にいた人間たちが、一斉に飛び出してくる。彼らは一人の少年を制止し、こちらを睨みつける。少年は何事かをわめいている。
「…お前っ、雪枝を殺しに来たのか!」
少年は大人たちを振り払うと、再び源に雪を投げつけた。それは源の鼻に見事に命中した。
「そうはさせないぞ。雪枝は、俺が守るんだ!」
「…雪枝とは誰だ」
鼻をこすりながら源は尋ねる。
「…そなたら、その雪枝とやらがそれほど大切なのか」
「……あいつらの仲間じゃないの?」
少年はぽかんとしてから、すぐに頭を下げた。
「ごめんなさい!俺、てっきりおじさんがあいつらの仲間かと…」
少年に続いて、周囲の大人たちも一斉に頭を下げた。何事か言葉を交わすと、一人が村の奥へと走っていく。
「…何か事情があるようだな」
少年は口を固く結び、話そうとしない。目にはたくさんの涙を浮かべ、握りしめた拳からは血が滴っている。
「話してはくれないか。俺は源という。力になれるやも知れん」
「…私から、お話しましょう」
先ほどの村人が、小柄な老人を連れてきた。老人は源を見つめ、悲しそうに言う。
「そなた、『神送り』の源さまですな。…うむ、これもまた運命か」
老人がため息をついた。少年はぼろぼろと涙をこぼしている。
「この村には、神がおります」
源がこれまでの経緯を話し終えると、長老だという老人は切り出した。雪が音もなく降り続いている。
「村人が『雪枝』と申すのが、その神でございます。彼女は、その御役目を終えようとしています」
「…信仰されておらぬのですか」
「いいえ。彼女は今も変わらず、この村の守り神でございます」
「では、何ゆえ」
長老は、雪の降りしきる庭を見た。ふう、と一度息をついてから、切り出した。
「彼女は、神としての禁忌を犯しました」
「…禁忌、ですか」
「…先ほどの少年。名を宗太といいます。親を失い、私が面倒を見ております。ひどく体の弱い男児でございました」
源はすぐさま、おおよその察しがついた。だが、言葉を発さずに長老を待った。
「…お察しの通りです。女神、雪枝は幼い宗太にその命を分け与えました。神が私情でただ一人に命を分け与えることは、禁忌でございます」
「…その神は、あとどれほど生きられそうですか」
「もって、二日かと」
そう言うと長老は、畳に指をついて頭を下げた。
「源さま、どうか雪枝を守ってはくださいませんか」
「守る、とは」
「…雪枝を狙う者たちがいます。名を『葬列』と申します」
「『葬列』、ですか」
「彼らは、雪枝が消える前にその命を絶とうとしています」
源は考えをめぐらせていた。放っておいても消えゆく神をわざわざ殺すなど、正気の沙汰ではない。そうするだけの価値が、どこにあるというのか。
「…顔を上げてください。その話、お受けしましょう」
長老は顔を上げた。その目からは涙が流れている。
「…ありがとうございます。雪枝を、お守りください」
そのとき、怒号が響いた。
源と長老が向かった先で、村人たちが一人の男と向き合っていた。宗太がひとりの女性の肩を支えている。あれが『雪枝』か。
源はすぐさま村人と男の間に割って入る。七尺はあろうかという大男。軽薄そうではあるが、細い目の奥に底知れぬものが見える。
「…村人じゃあ、ないね」
「ああ、源という。『葬列』の人間か」
「僕は鼬。『葬列』の下っ端だよ。『神送り』の源。まさかこんな時に出会うとはね」
鼬は匕首をそっと構えた。銃を持ってくるべきだった、と源は思った。丸腰で勝てる相手ではなさそうだ。
鼬は匕首を構え、源に近づいてくる。雪枝と宗太が逃げる時間を稼ぐよりない。源は咄嗟に鼬に尋ねた。
「『神の肉』を売る商人を知らないか。俺は、その情報を探してここに来た」
その瞬間、鼬の目が見開かれた。すぐさま匕首を下ろし、踵を返し去っていく。
「待て!…知っているのか」
「…あんたには関係ないよ」
そう言うと、鼬は夜の闇に消えた。
(二)に続く
いいなと思ったら応援しよう!
