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戦略的撤退を

「お前は怪我を言い訳にして、戦うことから逃げるんだな」
高校一年の秋だったと思う。僕は、怪我によるドクターストップで、当時所属していた部活動を退部した。その際に顧問に言われた言葉が、これだった。

決して上手いわけではなかった。
才能があったわけでもなかった。
好きかと訊かれてもわからなくなっていた。
そんなとき、怪我が発覚した。部活を続けないほうがいい、と医者が言ったとき、心のどこかで安堵した。内心、好機だと思った。
そんな僕の気持ちは、誰も知らない。
「続けていればよかったと後悔する。」
「逃げ癖がついてしまう。」
「楽しそうに見えたのに。」
退部するか否かで悩んでいた頃、周囲の「アドバイス」は僕を追い詰めるのに充分だった。怪我よりも、胸がぎゅっとして苦しかったのを、覚えている。
今もなお続く不眠の症状は、このときに少し顔を出し始めていた。午前0時を過ぎても眠れず、ようやく眠れば朝。高校生活がこれほど苦しかったのは、この時期だけだった。

「逃げるな。」
そう言われる度に心の中ではずっと「戦略的撤退なんだ」と思っていた。部活動を辞めても、高校生活は続く。部活動を頑張ることが全てではない。
勉学に励むのもいい。
生徒会に入ってみてもいい。
恋にうつつを抜かしたっていい。
友人と全力で馬鹿なことをしたっていい。
僕はただ、「楽しみ方を変える」つもりでいた。そして、それを誰にも伝えられずにいた。
周囲は僕を「逃げ出した敗北者」にしたくなかったのだろう。僕が追い詰められたのは、周囲の言葉が善意によるものだと思ったからだ。誰も僕が憎いわけではない。それが、つらかった。

結局、僕は退部した。
顧問に退部届を提出し教室に戻るまで、僕は泣いた。きっと、部活動に関して流す最後の涙だと思った。負けて悔しくて、でもなく、勝ってうれしくて、でもなく。今までの日々と努力に、別れを告げる涙だった。
それでも、心は前を向いていた。
悔しくて、悲しくて、申し訳なくて、それでも希望を感じていた。
撤退は、敗北ではないと信じていた。
生きる道や場所が変わることは、終わりではない。
僕は「楽しむこと」をあきらめたわけじゃなかった。
「逃げる」選択をしたわけじゃない。
僕が選んだのは、今までと違う日々を楽しむことだった。
今も、後悔はしていない。

そのあとの僕は、生徒会に所属することになる。多方面の人々と関わり、高校生活は大きく変わった。
生徒会の活動がないときは、教室で勉強したり、お悩み相談会(という名前の愚痴の言い合い)を開催することになった。自分と同じように部活動について悩む人の相談もあった。色恋の悩みは僕には解決できなかったが、聞いてあげることはできた。
部活動のように、賞がもらえるわけではなかった。でも、少し間延びしたようなあの青春の日々は、僕が部活動を辞める決断をして得たものだ。
何より、生徒会の所属になったことで、文化祭の運営に関わったことが思い出になっている。高校生活一番の思い出といっていい。

僕が選んだことは傍目には「逃げること」だったのだろう。
それでも、僕に一切の後悔はない。
あの「戦略的撤退」が、何よりの思い出につながっている。
あのままあきらめなかったら、と思うことはある。
それでも、僕が手にしたものは、撤退を選択した先で咲いていた、色とりどりの花だった。
その花は今もなお僕の人生の中で、特別な輝きを放って、咲き誇っている。

あの日の僕へ。
その選択は間違っていないよ。
この先、色とりどりの花に出会う。
素敵な女性にも出会う、苦い失恋をするけれど。
君が選んだ「戦略的撤退」の先に、望んだ笑顔があるよ。
だから、大丈夫。

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