どうしてコンビニで買ったお酒は家につくまでに飲むと美味しいの?
今日は仕事がお休みだったので休日強制タスクの部屋の掃除機がけをする。ハンディクリーナーで部屋の角を綺麗にするため四つん這いになるのですが、そのタイミングで何故か毎回と手首を痛めます。そんなドンドコ床をついたわけでもないのに明日の朝まで後を引く痛みです。実際この日記をポメラで打ち込んでいる今も痛みを感じます。私は自他共に認められている忘れやすい灰色の脳細胞なのですが、あまりにも毎度と痛めるので部屋の角を掃除機で攻めるたびに意識して繊細に床に手を付いたとしても、掃除が終わって立ち上がる時にはもう手首に違和感を感じる始末です。呪われているのかも知れません。次の休日に寺へお祓いに行こうかと思っております。幾らぐらいつつめば解呪してもらえられるのでしょうか。三万円ぐらいならマジで払います。
私は仕事中にも飲めたら飲みたいなと思うほどお酒大好きなクソ野郎なのですが、以前の日記に書いたとおり味覚が軽くお終いなので酒好きと言うほどえり好みはしません。割と「酒の味は酔うまでの助走距離」だと半ば本気で思っております。しかし、なんの因果か酒好きが高じたせいなのか本物の酒好きとの「酒会話」が異常に上手いようです。私としては『非常に稀少で高価な酒』を飲んだときも『コンビニで売ってる単価の安いリキュール種』と変わらないやろと失言する自信があるのですが、ひとたび酒好きと高いお酒を飲む機会が訪れたときはもう会話が弾むに弾み、私も酔っているモノですから、これは流石に安直すぎる感想だろうと思う言葉も口を滑らせても(実際はなにも感じていないし感動もしてない)、「流石!」「その通り!」とかなりの割合で同意を得られる始末です。思うに酒を好き好んでいる人はあえて歯にものを着せない言い方をさせて貰うのならば馬鹿、の可能性が少しばかり否定できないような気がするのでありますでしょうが、ここは見逃して下さればありがたい。あなたがもし素敵な趣味のお一つでもお持ちな方であれば、ご自身の趣味を「馬鹿なことをしているな君は」などと指摘されればどのような気分に陥るか想像してみてください。そうですね、馬鹿なことなのです。人があえてやらなくてもいい行動=趣味だというのならば、それは馬鹿だということは素敵な趣味をお持ちな方ならきっと「そうですけど?なにか?」と堂々言い返すのでしょう。本当の馬鹿は人の思いにケチを付けるほうなのだとあなたは分かっていらっしゃる。
思うに私は馬鹿になりきっていないのでしょう。飲んだくれの馬鹿の癖に「酒」について「高いモノは駄目」「安くて美味い酒が上等」などと意識が高すぎるせいで、人の思いを馬鹿にする本当の馬鹿なのです。あってはならないくだらない感情なのですが、その難癖付けたがる恥ずかしい自分が思いつく酒への感想は大変上手なのは心苦しいばかりです。きっと本当の酒付きは気持ちを言葉にすることなく「想い」で伝えることが多いのでしょう。私みたいに大げさに驚いて見せたり、奇抜な言葉選びをしてみたり、会話の間を埋めるようなありきたりな言葉など吐かない。つまり私があえて言語化してしまったばかりに相手が付き合ってくれている状態なのだと、それが場の盛りあがりに曲がりにも貢献したのだと私なりにこの日記を通じて自己分析してみました。
以前、仕事場の人に「酒の席で色々と話しかけてくれて嬉しかったよ」と言われたことがあります。私は酒を飲むと滅茶苦茶しゃべる悪癖があるのは自覚していたので嬉しかったと同時に恥ずかしかったのを憶えております。普段は不必要なことは一切喋らない人間なので相手が感じるギャップがえらことになっていたのでしょうが、私はそう言われる限りはずっと「思ってもないこと」を言い続けるではないでしょうか。酒は好きだけどえり好みはしない、そんな阿呆な自分だけど「お酒好きな人と喋る趣味」だと思うと、ああ私はお酒が好きなんだなと心から思うことができるから。
でもやっぱりコンビニの氷結を帰宅中に飲むのが一番うまいけどな。
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