私がYouTube Tiktokを始めた訳…
第1章 謎の口内炎
彌生です…
今回は「何故私がYouTubeやTiktokを始めたか」について書いておきたいと思います。
私は2023年、つまり昨年ですね、もう3年も謎の口内炎に悩まされていました。
口の中が痛くて痛くて、地元の大きな病院の「口腔外科」「耳鼻咽喉科」に行ったのですが、サッパリ良くならず、「口腔外科」に行くと「耳鼻咽喉科へ行ってください」そう紹介状を書いてくれて、今度は「これは耳鼻咽喉科じゃないですね、口腔外科へ行ってください」と言われて様々な病院をたらい回しにされて、たまたまかかりつけの歯科医が「彌生さん、僕、東京医科歯科大出身なので紹介状書きましょうか?と言われて「やはり日本で一番凄い病院へ行ってみるか」の気持ちになり、紹介状が2通いるので、かかりつけの口腔外科医にも「東京医科歯科大に行きます💢紹介状お願い致します」と言って書いて貰いました
この口腔外科医は「うがい薬」しか出してくれないヤブ、いい加減腹が立っていたのです。
そして、いよいよ医科歯科大の日を迎えてかなり期待半分、不安半分だった後を覚えています。
ドクターはとても感じの良い方で、私の口の中をカメラでパシャパシャ写してから「彌生さん、これは口内炎じゃないですね潰瘍です生検をしましょう😱」と言われて生検て様々な書類にサインするんですね、知らなかったです、軽い「手術」みたいな感じでドクターも服を着替えて手袋を付けて本格的にやるんですね、ビックリしました。潰瘍の一部を切除して生検に出しましたが、まぁ痛いのなんの3針も縫いました…そして4〜5人のドクターが私の口の中を観察して皆さんで話し合っていました。
「では来週来てください」と言われて家に帰って来たのですが「3年間のたらい回しはあれはなんだったんだろう、一度も「生検」なんて言われた事無いじゃんと思いました…
2〜3日したら医科歯科大から電話があり「急いで来てください、家族の方の誰か一緒が良いですね」もう悪い予感しかなく、娘と一緒に医科歯科大へ行きました
そうしたら…
組織の中が悪性化が始まっています、大至急、手術をしましょう😱
そう言われました…
病名は「白板症」です…
「白板症」?聞いた事も無い名前です…
かなり広範囲で潰瘍が広がっているので、もしかしたら声帯を切除する可能性があります、声が出なくなる可能性があるので、一応覚悟しておいてください😱
そうキッパリと言われました…
娘は「なんなの💢あのドクター💢もっと優しく言えば良いのに💢」憤ってましたが、私は寧ろ「真実」を言ってくれて良かったです「覚悟」みたいな物も出来ましたし…
寧ろいままでの3年間 たらい回しにした医者たちに腹が立っていました💢生検なんて一回もしなかった💢もっと早くに見つけてくれていたら違ったんじゃないの?ヤブ医者ばかりだったんですね…
帰りは流石に脚がガクガク震えて駅の階段の手摺りにつかまりゆっくりゆっくりと降りて行きました…
そして、ベッドの中で「もう声も出なくなるのかもしれないんだなぁ〜〜」「何か記録として歌声をYouTubeにアップ⤴️して
記録として残そうかな?」ふとそんな思いがよぎりました。
私は歌は昔ママさんコーラスとゴスペルしか経験ないし、それ程上手くも無い、しかもカラオケは2回行っただけの素人…でも何か記録に残してみたい…
なんだか大好きな越路吹雪さんの「愛の讃歌」を歌ってみました、そうしたら「私って歌が好きなんだ!!!!!」と新たな発見をしたんですよね…
この時と今は手術のせいか声質が変わっていますね、今はかなり「低音が出る様になりました」
私の初めてのアイドル✨西城秀樹さんまで歌ってしまっています笑
これなんか、かなりな低音です、動画編集は全て自分でやっています、昔はソプラノだったんですが高音はなかなか出なくなりましたね…
音源は全て「Pokekara」から引いています。勿論、無料会員です、ポケカラの有料会員になるとAIの動画編集が出来るみたいですが、ハッキリ言ってダサい!!!
上から目線で申し訳ないですが、私はiPhoneの中の「iMovie」で自分で好きな様に編集しています
そして、いよいよ入院の日トランクに荷物を入れて病院へ行き最後の検査終了…
皆さん「口の中の手術」って怖くないですか?歯医者のあのキィ〜〜ンの音を聴くだけで身体が硬直しますよね…
手術担当のドクターはソフトな雰囲気の30代くらいの人で安心しましたね、そして手術室に行き麻酔科のドクターが麻酔を点滴してアホですので「イケメンじゃん」と思いながら、気がつくともう手術は終わっていて「彌生さん!目が覚めましたか?」とドクターに言われて、ハッキリと目覚めたんですが…
痰が凄いんです💦
後から後から痰が溢れて来て「オェ〜オェ〜」と酷い嗚咽…口の中にバキューム、鼻からバキュームと手術よりそっちが辛くて、痛くて参りました💦麻酔科のドクターは急いで「吐き気止め」の薬を点滴にいれてくれましたが、ちっとも効かず、病室に移ったら、一晩中、痰をペッペッ吐いて、五月蝿かったと思います同室の方々申し訳ありません🙇♀️
ティッシュ5箱を一晩で使いきり、娘に会社に行きがてらまたまたティッシュを10箱ナースステーションに届けて貰いました、参ったなぁ😰
そして口から食事が出来ないから鼻から胃までチューブが入っていて、時間になるとナースが来て栄養食?の液体を注射から鼻に直接入れます、これも不自由でしたね、マジで不快で「メシなどいらん😤チューブ抜いてくれ!!!!」でした、しかし不思議と手術した口の中は痛くないんですよね、マウスピースで口の中まで覆っているせいだからなんですかね?
そして、口の中の手術なんで、翌日からシャワーはOKでした、これは良かったですね、やがて数日して鼻からチューブも抜けて食事も重湯になりました…
しかし、口の中は「安静」なので話す事は出来ないんですよ、かなり不安でした
毎日ドクターの検診があり、細かく説明を受けました、私の傷口には「人工皮膚」が移植されているそうで…「人工皮膚?そんなのあるんだ」と今の口の中の医学は私の知らない内にかなりな進歩を遂げているんだなと思いました…
数日後、ドクターが「彌生さん、話せますか?」と質問されました「は……い…」と言うとドクター看護師さん、インターンドクター、皆んな拍手👏してくれました、そして質問に次々と答えると
「これならリハビリも必要ないですね☺️」と言ってくれました。
私も「やった!!!話せるんだ!!!」と内心ガッツポーズでしたが、まだまだ大きな声では話せないし、ゆっくりゆっくり一言ずつ話すしか出来ません…
手術して一年以上が経ちますが、この、ゆっくり話すのは習慣になり、私は元々は早口だったのですが、やはりゆっくり話す方が人様にも受けが良いのがわかりましたね、やはり日本語を美しく話す女性は良いと改めて思っています…
しかし「白板症」は再発しやすい病気だそうで5年間も経過観察の為に通院が必要と聞いてビックリしましたね、5年て長いですよね
同室の患者さんたちとは和気藹々と過ごせました、皆さん鼻にチューブを入れていて同じなんで、お互いを観て笑ったりして
そして10年間口の中のガンで苦しみ放射線治療をしていて太腿の血管を頬の内側に移植して放射線治療をしている私より年配の方凄く明るい人で立派だなぁ〜〜と凄く勉強になりましたし尊敬しました
皆さん、口の中が不調な時は口腔外科に行った方が良いですよこれ本当です!あと歯は1日5回磨く事、そうしないと歯周病になります。面倒ですが、朝、昼、夕、寝る前で4回クリアですから頑張りましょう。
やがて私は術後の経過が良く1週間で退院出来ました、帰りは奮発してタクシーに乗って帰宅しました…
家に到着してベッドに横になった時「あぁやっぱり自分のベッドが1番だわ」と思いました…
第二章 突然の腹痛
その後は何事も無く日々は過ぎたのですが、3月に手術して翌4月、私は夜中に物凄い吐き気がして、トイレで吐きまくりました、吐いても吐いても出てくるんです胃液の黄色い液体が出ても、まだまだ吐き続ける…然も腹痛まで酷くなり「これってノロウィルス?」とか過りましたが、とにかく腹が痛い、我慢出来ずに救急車を呼び、ある病院へ運ばれました…
そこで「痛み止め」と「吐き気止め」の点滴をされて、朝方になったら、まだ薬は相当残っているのに点滴の針を抜かれて「もう帰ってください」ですから😨
またまたタクシーに乗って家に帰りとにかく、安静にしないとまずいと思い、眠剤を飲んで寝ていたら…
夜中の2時に猛烈な腹の痛みで目が覚めて、その痛みは「出産」より痛いんですよ、ロキソニンを飲んだって効きません、とにかく物凄い痛みです…
しかし、昨夜も救急車、今夜も救急車、いくらなんでも騒ぎ過ぎなのか?どうしようとウジウジ悩みましたが、痛みには勝てない、思い切って救急車を呼び「絶対に入院になる!!!!」そう思い、這いずり回りながら、バッグに下着だなんだと入れて、這ってドアの前で寝転び遠くから救急車のサイレンの音が聞こえた時は「これで助かる」と思いました…
救急隊の方はドアを開けたら、いきなり私がうずくまっているのでビックリした様です、しかし、救急車の中でいろいろな病院に電話するんですが、何処も「応急処置はしますが、入院は出来ません」と断られて、救急隊の方々も困っていて、私はふと、かかりつけの歯科医の方が「災害医療センターは外来は駄目だが、救急のICUは毎日オペしているから、優秀な外科医が多い」と話しているのを思い出しました
「すみません!!!災害医療センターお願いします!!」そう叫んだら「えっ?あそこまで行くんですか?」「ハイ!!!お願いします!!!たぶん手術になると思います!!!😠」
そして災害医療センターに電話したら運良く「急いで来てください!!!!」になり、実に救急車の中で1時間も待たされました、よく何処も受け入れ先がなくて
死亡する方々がいらっしゃいますが、無理も無いと思いますね
そして災害医療センターに着いたら、流石ですね、ドクターたちが外で待機していてくれて、すぐに救急車のキャスターから病院のキャスターに移動してくれて、心電図のモニターだ血圧計だなんだと身体中に付けてくれてドラマみたいでした…
そして造影剤CTスキャンを撮り様々な検査が終わった頃に娘に病院から電話してくれたらしく娘が飛んで来て…
オカン!!!今度は何!!!と叫んでいるから
オカンもわからんのよ…と必死で声を振り絞り…
「お嬢さんですか?」「はい」「これをご覧ください」とドクターが腹の中のレントゲンを私たちに見せたら…
ふたり同時に「えぇっ😳」と驚き、私の腹の中には何かが散らばっていました…
「急性腹膜炎ですね、盲腸が破裂💥して、血の塊や便や様々な物が腸の中に散乱しています」「これから緊急手術になりますが、これだけ酷いと最初は腹腔鏡手術ですがそれでは無理ならお腹をバッサリ切りますが良いですか?」
「構いません!!!😠」
この際、腹の傷跡なんかどーでも良い早くこの痛みから解放されたい!!!その一心でした!!!
私はとにかく動けないので、娘が様々な文書にサインをしてくれました…
そしてそのまま手術室に移動になり、私は退院するまで娘と会えませんでした。
やがて麻酔が覚めたら、遠くから「クィーン」の「ボヘミアンラプソディ」が聞こえて来て…
なんとも言えない「恍惚感」でして、もう1人の私が「彌生、このまま死ねるなら良いね」と話しているのが聞こえます…ウットリと聴き入りました…あれはある種の「臨死体験」なんでしょうか?
暫くウットリしていたら「彌生さん」と呼ばれて目が覚め、ICUの中でした…
お腹には3本の管が刺さったままで先に汚い体液が溜まっています、点滴も両腕に刺さり身体を動かす事は全く出来ない状態です…
手術してくれた若い女性のドクターが来て「目が覚めましたか?」「お腹の中は本当に酷い状態であと少し遅かったら命も危なかったですね、また、このまま様子を診て良くならないなら、もう一度手術をするかもしれません」そう言われました「明日から歩く練習をしましょう
人間はベッドに寝た切りになると筋肉が退化します、少しずつ動きましょう」そ
う言われました…
しかし!!!動く自信なんぞ無い!!!男性で盲腸を経験した方、よく「産みの苦しみは男にはわからない」と言いますが、安心してください、盲腸の方が痛いです!!!!死ぬほど痛い!!!!
そして、翌日は点滴が一本抜けて、なんとか起き上がれましたが歩けない…
私は20代の頃「卵巣嚢腫」の手術をしていますが、あれは若かったからなのか?翌日には歩けましたが、今回は無理!!
こんな状態じゃあ、動けません…
3日ほどICUにいましたが、看護師さんが優しくて無理矢理歩かせなかったので有り難かったのですが、一般病棟に移る事になり、病棟から看護師さんが2人やって来てベッドに移動させられて、そのまま9階の病棟に行き、ナースステーションの前の部屋に入院になりました…
やがて尿道の管を抜かれて「トイレも1人で行ってください」ときびきびした女性の病棟長さんに言われて「何故、動かせなかったの!!!駄目でしょ!!!」と
ICUの若い看護師さんは叱られていました何だか申し訳なかった…
とにかく!!!歩いて!!!!
そう言われて、腹には3本の管が飛び出ていてその先は汚い体液が溜まり、その体液の所は布の袋に入れて首から3つ下げて、点滴のキャスターを押しながら、そろそろと歩いてトイレに行き…もう腹に力を入れると激痛なんで仕方ないからゆっくり便座に座り用を足してまだオムツなんでオムツを自分で装着してそろそろと立ち上がりゆっくり病室に帰るを繰り返しました、情けないのぉ〜〜😥
病室には4人部屋でしたが、何故私が、ナースステーションの前の部屋なのか、徐々に分かって来ました…私は重症患者だったんですね。
夜中になるとその病室は大騒ぎになります…
先ず私の前のベッドのお婆さんが(私もババアですが笑)
苦しいもう駄目〜〜と叫び「もう抗がん剤に耐えられない死ぬ〜〜」と叫び「ごめんなさい○○ちゃん悪阻が酷いから堕ろしちゃってバチが当たったのね」
そう言ってずっと叫び続け😱
そうなのか、そんなに抗がん剤って辛いのか可哀想に😢同情しましたよ…
お婆さんの隣のベッドもお婆さんで両手をベッドに縛りつけられて…
死ぬ〜〜死ぬ〜〜と叫び😱
看護師が飛んで来て、こりゃ大変な所に来たわねと、私は一睡も出来ず、私の隣のお婆さんは…
アンタたち!!五月蝿い!!!と叫び…
あっちで叫びこっちで叫びの合唱😱私は天井を観たら変な顔が沢山見えて「私は遂に統合失調症になったのだろうか」と戦慄が走り
地獄の様な病院に入院してしまったと思いました…
翌日はゲッソリです、参ったなんてもんじゃない…私の隣の五月蝿い五月蝿いと叫んでいるババアは、洗濯物をベランダで干していたら転倒、両膝を骨折して手術をしたらしく…
ドクターか来て「そろそろリハビリ専門の病院へ移転しないと」と言うと何故か
絶対に嫌と叫びます…なんで?🤷♀️
またご主人が甘いんだわ、仮に「節子」にしましょうか?毎日ナースステーションにやって来て「節子に会わせてくれ」
ですから🤷♀️
「うちの病院は面会は出来ないシステムです!!!お帰りください!!!!」そう断られると、その声を聞きつけた節子が…
あなた〜〜( ´Д`)y━・~~ですから「私は絶対に退院しないわよ!他の病院に行かないからね💢」と叫ぶと夫は「分かった節子!!!」ですから、アホじゃないの?🤷♀️
ドクターは「リハビリ専門の病院へ移ってちゃんとリハビリすれば秋頃には歩ける様になりますよ」と言ってるんだから転院すれば良いのに、それに未だに尿道に管が入っていて自立で用を足せないから、看護師が来て「節子さん自分でトイレに行く練習をしましょう」と尿道の管を外し、車椅子でトイレに連れて行き、暫くすると戻って来て、またまたオムツ
節子はとにかく自宅に帰りたいのだが、そもそも素人のご主人が世話できる?
トイレに「お姫様抱っこ」して毎回行くのか?節子が言うには…
私は今まで散々、旦那の世話をして来たのよ💢今度は旦那の番よそれが夫婦ってもんでしょ?💢
節子は案外、旦那を憎んでいるのかな?と思いましたね…
また私の前のベッドのお婆さんは抗がん剤で苦しんでいる割に髪がフサフサで「あれ?抗がん剤って
髪が抜け落ちるんじゃないの?」と思っていたら…
リハビリの女性がやって来て…
「さぁ、ここは何処ですか?」そう質問したら…
山田商店街♪♪♪♪ですから😂
あれ?ガンじゃないの?と👂聞いていたら「じゃああなたは何の病気でここに来たんですか?」と質問
赤ちゃんが死んじゃったの🥲
いいえ!!!あなたは脳梗塞ですよ!!!!😳
何なに?ガンじゃないの?脳梗塞?かなりボケているのね…なるほど🤔
また脳梗塞のお婆さんの隣りは上半身しか動けないお婆さんで、尿道の管が不快らしく自分で抜いてしまってベッドはビチャビチャ…男性の看護師さんがかなり怒り💢
アンタのせいで僕は3回も始末書書いてるんだよ💢いい加減にしてくれよ!!!!と言い、他の看護師と相談して彼女の手をベッドの柵に縛り付けていたんですね、なるほど🤔
しかし!そのせいで毎晩ギャーギャー叫ばれてこっちは大変なのよ😥
消灯時間になると、あっちでギャーギャー、こっちでギャーギャー、オマケに他の病室からもお爺さんの声で「ここはどこだーーー」と叫んでいるのが聞こえる
地獄ですよ地獄…
この人があの場にいたら…
集団自決しろ!!!!と
叫んだでしょうね…
本当に歳を取るのは大変ですよ…
生きて行くのも大変
死んでも行くのも大変
身をもって知るですね…
あんな地獄病院とは知らなかった…やはりで口コミに星がついてないだけあるわ…
でもICUのドクターは腕は良いと思います
ドクターに「変な物が見えて困るんですが私は頭がおかしくなったのでしょうか?」と質問したら…
「彌生さん人間は手術という異常な体験をすると幻を観る人は多いです、心配しないでください」と言われ安心しました😮💨
💁♀️
しかしかなり口コミ悪いです…
私の症状はサッパリ良くならず
ドクターが来て「彌生さん、血液の値が悪過ぎます、このままでは再手術になりますが、良かったら新薬の抗生剤を3種類試してみようと思うのですがどうします?」
そう言われたので「お任せします」と答えました…
その夜から新しい抗生剤の点滴が始まり看護師さんがずっと付き添い10分毎に記録して3本終わったある日…
ドクターが来て「彌生さん!朗報です!抗生剤の中のひとつが奇跡的に効きました!もう飲み薬に変えましょう」と言って、お腹の管も全部抜いてくれました😭😭😭😭😭😭
そして病棟長さんが来て「彌生さん、病室を移りましょう」と言って1番奥の部屋に移してくれました、部屋はトイレも付いている3人部屋で、皆さん静かで、私は入院以来初めて熟睡できました😭
夜になり窓の外の街の夜景を観ていたら
「なんて綺麗なんだろう、生きてて良かった」と染み染み思いましたね…
人生いろいろあるが、やはり健康が1番の宝だわ…2ヶ月連続の手術で染み染み思いましたね…😭
人間、生きていて1番大切なのは健康なんだカネや名誉なんかあったってそれが何になるわけ?キラキラした夜景を観ながらなんだか悟りの境地に辿り着きましたね…
上を向いても下を向いてもキリが無い、人を憎んだり恨んだりするのももう辞めよう、全て許す事から始めよう、時間=命なんだ、大切に生きて行こうと人生観が変わりました…
ベッドの中で天井を見つめながらいろいろ考えましたね、あれは私の人生の大切な時間でしたね…
やがて2週間後に退院しましたが、久しぶりに対面した私を観て娘は「オカン!どうしてそんなに痩せちゃったの?」とビックリ🫢
そんなに痩せたかな?と思い、家に帰り体重計に乗ったら、3月の手術から実に10キロ痩せていました…
それからは早朝散歩を心掛けています、私は「うつ病」なので朝陽を浴びないといけないので丁度良かったです…
そして、YouTubeに時事ネタのショート動画を投稿する様になりました、なんだか、今の時流を動画に作りたくなったんですね、しかし、ある日2階さんのショート動画が削除されました、それからは目に見えて再生数が落ちて行きました…
自分なりに研究して、YouTubeは収益化は目指さない、規約が厳しすぎると判断して「美容系」に変えました…
またTiktokは中国のサイトですから、ちょっと考えましたが、とりあえず「時事ネタ」はTiktokにシフトチェンジしました…
現在登録者1.2万人まで伸びています、例え歳を取っても思考を止めてはいけません、歩きながら考える癖を付けないとダメですね
最初は病気になって「記録」から始めたYouTubeそしてTiktok
私が目指しているのは「エンタメ」です、私の動画を観てだれかが喜んでくれたら凄く嬉しいです
これなんか、ひたすらサービス精神で作りました最初は「歌」「記録」から始まったYouTube、「顔出し」は嫌だったんですが、やはり顔を出さないと「信用」されない気がして思い切ってやりました…
いまや私の「生き甲斐」になっていますね…
でも、1番大切なのは「健康」です…
皆さま健康でいましょうね、健康なら人生なんとかなります…そして毎日笑いましょう…
続きます…