都市怪談 第一話「暗闇のオフィス」
あらすじ
はじめに
読者の方々は、残業などで暗いオフィスに一人残されたことはあるだろうか。
オフィス規模の大小に関わらず、夜のオフィスというのは、昼間は人が絶え間なく往来するオフィスとの違いに少し怖さを感じる方もいるのではないだろうか。
特に、日比谷・丸の内・霞が関など、一般的に都心のオフィス街と呼ばれるエリアは、オフィスだけでなく街全体も夜になると人気を失い、さながらゴーストタウンのように静けさに包まれる。
新宿・池袋・渋谷などの繁華街に位置するオフィスとは違い、静まり返った街に佇む高層ビルの一角で仕事をしていると、都会では考えられないほど無音の世界がそこには存在する。
この音のない世界というのが意外とやっかいで、普段見慣れているオフィスなども節電で自分の周り以外の電気が消えて、ぼぅと自分のデスクだけの明かりをたよりにPCのタイプ音がオフィスに響き渡ろうものならば、とてつもない孤独感と、えも言えぬ不快感に襲われる。
一見、怪異とは程遠いと考えられがちなリーマンオフィス街でも、実はそこかしこに、不思議な経験に遭遇する人が見受けられるのである。
日比谷のオフィスで商社系の会社に勤める門崎愛さんは、こんな話をしてくれた。
暗闇のオフィス
門崎さんが入社して3年目の夏。
その日は朝から、日差しがつむじに刺さるような、焼け付く暑い日だった。
3年目になり、ほとんど仕事を任せてもらえるようになった門崎さんは、朝から取引先の営業訪問に勤しみ、オフィスに戻ってきたのは17時を回っていた。
次の日、社内MTGで大事なプレゼンが控えており、資料作りに手を付けられていなかった門崎さんは、帰社してから息つく間もなく、デスクに向かい資料作りに没頭していた。
オフィスからは1人、また1人と席を離れ、21時を回る頃には門崎さんと上司の御坂さんしか残っていなかった。
御坂さんも「あんまり、こん詰めすぎないようにね。」と言い残し、22時前に席を後にした。
「他の人誰も残ってないから、電気も消しておくね。」
そう言って御坂さんは、門崎さんの座る部署の照明のみ残して、他のエリアの電気を消し、帰宅した。
門崎さんは、この時間があまり好きではなかった。
上司の手前、「はい」としか答えられなかったが、自分の部署以外の部分が真っ暗な状態で仕事をすると、ただでさえ広いオフィスに1人ポツンと残された気になり、孤独感に苛まれる。
「終電までには帰ろう。」
ため息をつき、そう呟くと1人PCに再び向かい、資料作りを始めた。
1時間ほど経っただろうか。
大方資料が完成し、かけていたブルーライトカットメガネを外して、椅子で大きく背伸びをすると、自然とあくびが漏れた。
プルルルルル…
途端、目の前の電話が鳴り響く。
驚きのあまり出ていたあくびが引っ込んだ。
時計を見るとすでに23時を回っていた。
こんな時間にかけてくるなんて普通は考えられない。
「いや、もしかしたら何か取引先で緊急事態が起こったのかもしれない…。」
そう考えた門崎さんはおそるおそる受話器をとった。
「はい、〇〇会社でございます。」
しかし相手の反応がない。
電波がうまくつながっていないのか、もう一度話しかける。
「あの、こちら〇〇会社ですけど、お電話聞こえてらっしゃいますか?」
そう尋ねたものの相手からの返答はやはりない。
イタズラ電話かと電話を切ろうとしたところ、相手が口を開いた。
「サンダイハマコに代わってください。」
中年の女性と思わしき、小さな声だった。
向こうの電波が良くないのか、ノイズがあって聞き取りにくい。
そして社内には「サンダイハマコ」という人物はいない。
「あの、弊社にサンダイハマコという者はおりませんが…。」
すると女はまたも繰り返す。
「サンダイハナコに代わってください。」
門崎さんの話を無視して、そう言った。
少し気味が悪くなった門崎さんは
「すみません、弊社にそのような者はおりません。どうしても気になるようでしたら、明日弊社の管理部宛に折り返し願います。」
そういうと門崎さんは一方的に電話を切り、そそくさと身支度を始めた。
電話越しの中年女性の声は、声量が小さい上、どこか生気を感じさせず、まるで機械音声のように繰り返し聞いてくるので、明らかに普通ではないと思った。
PCの画面を閉じて、バッグの中に社用携帯を放り込み、席を後にしようとした。
プルルルルル…プルルルルル…
オフィスに電話が鳴り響く。
非通知設定の、内線だった。
嫌な予感がする。
無視して帰ろうかと思ったが、資料作りで疲れているのにイタズラ電話をかけてきている受話器越しの中年女性に腹が立ち、同じ人であれば文句の一つでも垂れてやろうと受話器を取り、耳元に当てた。
「…サンダイハマコに代わってください。」
例の、機械音声のような、生気のない中年女性の声だった。
頭にきた門崎さんは
「先ほどから申し上げていますように、弊社にサンダイと言う者はおりません!この時間にこのようなイタズラ電話がありますと大変迷惑致しますので、おやめください!」
と語気を強めて電話越しの相手に返答した。
「……」
しばし沈黙が続き、やっと相手も大人しくなりこれでイタズラ電話も辞めるだろうと、フックスイッチに手を伸ばしたところだった。
「サンダイハマコに代わってくださいサンダイハマコに代わってくださいサンダイハマコに代わってくださいサンダイハマコに代わってくださいサンダイハマコに代わってくださいサンダイハマコに代わってくださいサンダイハマコに代わってくださいサンダイハマコに代わってくださいサンダイハマコに代わってくださいサンダイハマコに代わってくださいサンダイハマコに代わってくださいサンダイハマコに代わってください」
女はまるで早送りのビデオテープのように、同じフレーズを繰り返し始めた。
完全に狂っている。
恐ろしくなった門崎さんは、すぐにフックスイッチを切り、一目散に裏口通路へ全速力で駆け出した。
震える手で出口近くの照明電源とクーラーを切り始める。
全て消えたことを確認し、タッチキーで裏口の扉を開けて、オフィスを後にしようとした瞬間
プルルルルル…
プルルルルル…
プルルルルル…
プルルルルル…
着信を知らせる赤いランプが、暗闇のオフィスのあちこちで点滅し、一斉に全て部署の内線電話がオフィスに鳴り響いた。
(2,909文字)