人は見たいものだけ見て、聞きたいものだけ聞く
お正月は毎年のように
ーー親族にブンブンぶん回されるーー
言いたいことも書きたいこともたくさんあるけれど
文句ばっかりじゃ目も当てられない。
それはもう小さく小さく丸めてあっちの方にポーンと放り投げてしまいましょう。
その振り回されている間に
「人は見たいものだけ見て、聞きたいものだけ聞く。」
ということを考えていた。
言葉というのは自分の考えを相手に伝えるためのツールなんだけど、
口から出るものは往々にして自分の考えとは似て非なるものになってしまうことがある。
自分の思いを完全に完璧に伝える言葉を探すことは難しい。
受け取る方は自分の聞きたいことだけを聞き取って相手は何を言っているのか(たまに斜め上に)理解する。
ねえ、今貴方の隣にいる人は本当に貴方が考えているような人でしょうか?
ビコニャは都市伝説が好きで良くそれ系のYouTubeを見ている。
〇〇の考察
なんてものがたくさんある。
ビコニャはそれはただの経験則からなる知識のピースを自分の好きなように拾い集め、パズルのように組み合わせて分かったような気になっているだけかも知れないと考えたりします。
例えば子供の時に見た映画を大人になって見返したとき
実はこんな事も描かれていたんだと気付く。
そんな経験は有りませんか?
世の中には枕詞のように「こう」だったら「こう」だよね、ってことがある。
それをただ製作者側は撮ってるだけなのに見ている側はそれ以上の意図を見つけ出してしまっているのではないか、と思ってしまう。
と、
まあ、とにかくそんなふうに支離滅裂で良くわからないことを考えてしまうほど
聞く耳を持た無い人たちが大勢
お正月は集まって来る時だということ。