布璃部由良由良
オオニャムチがビコニャに聞きました。
「何で縄文が弥生になると争いが起こるの?」
中津川市中山道歴史資料館でのできごとです。
「一般的には縄文=狩猟採集で弥生に入ると農耕が始まるでしょ。」
「一般的には?」
「一概には言えないって事かな。」
「農耕が始まると争うの?」
「土地が欲しいってなるじゃん。あっちのが実りが良いとかなるとそこが欲しいとか。」
「そうか~。」
「縄文後期では稲作はじまってたんだけどね。」
縄文が狩猟採集生活で争いの無い平和な時代だったって、なんでみんな見てきたように話すんだろうな。
「縄文は平均寿命が30くらい?さっきの人も本居宣長も結構長生きだよね。」
展示物は和宮や伊藤博文や桂小五郎。
江戸末期から明治にかけてのもの。
「医療の発達かなあ。食べ物の違いかなあ。」
そうだね。
縄文が争いも無く平和なら平均寿命もそんなに短くないよね。
多分赤ちゃんの死亡率が高かったから平均寿命も短かったのかなあ。
だから七五三もできたのだろうし。
ビコニャ的には人の営みは何時代だろうと変わらないと思う。
喜び怒り哀しみ楽しむ
同じように笑って、同じように歌って、同じように泣いて、同じように悔しがって、同じように恋をして、同じようにも失恋もして、同じように。。。
そうやって生きていれば争うことだって有ると思う。
あー、日本の最古の和歌は下照姫のとっても露骨なラブレターだそうですよ。
露骨と言うかそのままというか。
下照姫ですから。そりゃあもう。
そんなの人様に見せるとか現代まで残るとか恥ずかしすぎるでしょう。
おおらかだったんかなあ。
あー、性について厳格になったのはキリスト教の影響らしいからなあ。
いろいろ恥ずかしいのは刷り込みなのかも知れない。
そう言えば仁徳天皇は恐妻家で皇后に隠れてどうやって女の人と会うかの画策ばっかりしてたとかそんなのも記紀に書かれてたらしいなあ。それもまた恥ずかしい限り。
ちょっと長くなってきたのでこの辺で
布璃部由良由良は死者蘇生の呪文
愛しい人よ、側にいて
そんな気持ちはやっぱり共通のものだと思う
トップの画像はハックルベリー・フィンのかき氷
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