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フォール・ガイ(Fall Guy)、代えの効かない傷跡

テーマ、というか主役がスタントマン(俳優の代わりに落ちる人)なので、誰かの「代わり」になること(あと高いところからの「落下」)が頻出のテーマになっている。

例えば、主役のコルト(ライアン・ゴズリング)は単にトム(アーロン・テイラー・ジョンソン)の身代わりスタントであるだけでなく、トムが犯した殺人の濡れ衣まで代わりに着させられている。だから、映画はこの殺人の「身代わり」(と言う別種のスタント)を中心に展開していくわけだけど、クライマックスでこの殺人の方の「身代わり」が解消される瞬間は、同時にスタントという「もう1つの身代わり」が終わる瞬間にもなっている。だけど、それはスタントマンが主役になる、みたいな話ではない。そしてそこが良かった。

映画終盤、トムに映画撮影と偽って「罪の告白」をさせるためにコルトが奮闘する。その作戦自体は映画監督であるジョディ(エミリー・ブラント)が映画撮影中だと偽って書いた筋書きに則って進行されるのだが、それはスタントマンが主役へと変わるのではなく、「映画」そのものが作戦のための「偽物」(代役)として利用されることで主役(本物)とスタントマン(偽物)という映画的なパワーバランスの仕組みそれ自体が無効化されている、ということでもある。ただ単にコルトがトムに成り変わっただけでは、結局今度はまた別のスタントマンが必要になるだけだ。だから、若干複雑でも映画内映画作戦を使ったんだと思う。

ついでに言うと、トムの「罪の告白」はただコルトの濡れ衣「無罪」証明のために必要なだけではなく、実はジョディとコルトの恋愛関係のための告白の代わりにもなっている。ただ、それは「恋愛の告白」とかではない。コルトとジョディはコルトの怪我が原因で一度関係が遠ざかるのだが、そのいざこざを巡って二人は、トムが「自分の殺人を他人へとなすりつける罪」を犯していたように、二人の問題を互いになすりつけあっている(途中まで)。しかし、そんな二人代わりにトムが自らの罪を認める、と同時に、二人の関係もまた修復される。だからトムの「罪の告白」は一応、二人の代理的な「告白」にもなっている、と言うことである。

さらについでに言うと、ジョディが撮っている映画は「エイリアン」と「カウボーイ」が戦うSFなのだが、映画の途中でジョディが特殊造形のエイリアンの腕をはめたままコルトと話す場面が写るとそのあとしばらくして、今度はコルトがエイリアンのスーツを着た状態でジョディと話す場面が出てくる。つまり、互い互いに意図せず同じコスチューム(エイリアンの衣装)を交換しあっているのだが、面白いのは、ジョディがエイリアンスーツのコルトを、かぶり物のせいでコルトと気づかずにびっくりして襲ってボコボコにしてしまう所。この場面はジョディもスタントマンなのか?と思うようなやりすぎた格闘戦で、コルトの太ももにボールペンを突き刺すとこなんか強すぎる/酷すぎるんだけど、この「痛み」は逆に代えの効かない傷跡として、スタントマンのコルトではなく、生身のコルトにおいて引き受けられている(だからこれ以降のコルトは若干足を引きずっている)。そして結局、このコロトとジョディの格闘場面が結局、ある種もう1つの「エイリアン」v.s「カウボーイ」にも見えるのである。しかも、衣装の交換のせいで敵味方の違いがなくなって、結局その戦いもスタントと主役の争い同様に無効化されている。そう言うふうに、いろんな意味の形が重なり合ってる映画でした。

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