
小津の『東京物語』に出現する正体不明の「長い影」は誰の影なのか?
映画冒頭、「尾道からおじいちゃんおばあちゃんがくるから」と言って、子供の「机」が廊下に出されてしまうことは、映画全体の予告になっている。『東京物語』は、その「おじいちゃん」(「父」)と「おばあちゃん」(母)が、尾道から東京までわざわざ子供達に会いに来たにもかかわらず、実の子供達に面倒を見ることを煙たがられ、「机」同様に家の外へと追い出されてしまう、という筋書きの話だからだ。
結局のところ、二人はわざわざ東京まで行ったのに今度は熱海まで追い出され、おまけに母は熱海で少しだけ体調不良っぽくなり、なんと映画後半では急死してしまう。謎の死、とまでは言わないが、二人を厄介がって外に出した子供たちは気まずかっただろう。母の死後の息子達の会話では、子どもたちによる罪悪感のなすりつけあい(犯人探し)が隠されもしない。しかし、この母が死んだ理由は、そういうありきたりな「罪悪感」とは関係ないようにも見える。むしろ、この母の死は、作中唯一登場しないもう一人のある特別な子供、すでに死んでしまっている次男のショウジによってもたらされたようにも見えるからだ。
まず、次男の妻でとして登場する紀子(原節子が演じる)が重要である。
紀子は、次男(ショウジ)の妻だけど、ショウジは作中では既に死んでいる。一応、紀子の部屋にはショウジの「写真」が立てかけてあるのだが、しかしカメラがこの写真によらないせいで、ショウジの顔はよくわからない。ただ、この映画はそもそも「死者の顔」を見せようとしない。例えば母が死んだ時もカメラは母の死に顔を映さない。ショウジの写真にクロースアップせず、母の死に顔も見せない。死者の顔はそこにある。しかし、誰もそれと対面することができない。
そんなことは当然ではあるけど、実はこの対面し得なさは、死者との「ある隠された関係」の可能性を仄めかしている。息子・娘家族に追い出された母は、紀子の部屋に泊まる。紀子は一人暮らしなので、おそらくしまってあった昔の布団を出した。その布団に座してそして、母はこう口にする。
「思いがけのう、ショウジの布団に寝かしてもろうて」
生きた人間が死者の布団に包まれる。生者は死者と対面し得ないが、しかしこの母親はそれでも、死んだ息子の布団に包まれ、いわば重なることができる。そしてある意味では、母自身の唐突な(思いがけない)死は、こうして死んだ息子と「思いがけのう」重なる(死人の布団に包まれる)時、すでに確定していたのかもしれない。例えば、この時、紀子との会話を終えた母親はまるで「影」のように暗くなっている(そして後ろの紀子の白さがそれを際立たせている)。まるで実態ではなく、実態に「重なる」影の側へと変化するかのように。

事実、この母は映画後半で、まさにこの時後ろに立つ紀子と重なるのである。紀子の部屋を訪れたとき、母は亡き夫のシュウジのことを忘れ、新しい人生を歩むよう紀子に諭していた。誰が見てもわかるように、全く同じ会話が(死んだショウジについての)、映画終盤(母の死後)、今度は父と紀子との間で交わされる。その時、紀子がある場面で強く顔を背け目に涙を浮かべるのだが、それは紀子と母との会話の終盤で同様に母が紀子から目を背け、「グスグス」とすすり泣きをしていることの明らかな繰り返しでもある(つまり終盤の「紀子」は中盤の「母」と重なっている)。
となれば、父はこの時、紀子を介して、つい先ほど死んだばかりの母と暗に対面している、と言うことになる。そう思えば、この直後に父が紀子へと母の忘れ形見である「時計」を渡すことは全く理にかなっている(二人は重なっているから)。しかし同時に、この贈り物が「時計」であることには、どこか不吉な予感を禁じ得ない。時計を渡すとき、父はこう口にするからだ。
「お母さんがちょうどあんたくらいの時からもっとったんじゃ」
父は、こうして紀子と母の時間をくっつける(ちょうどあんたくらいの時からもっとんたんじゃ)。今の紀子の年齢から刻み始めた時計は、母が死んだ時に(68歳で)紀子へと渡された。紀子の時間と母の時間とが重なる。であれば、この時計が次に別の誰かへと渡されるまでの「時間」(つまり紀子の死期)はすでにこの時、決定/予告されてしまったのではないか?
ところで、もし『東京物語』が観れるUNEXTにはいっている方がおられたら、暇な時に2時間13分55秒あたりを見てほしい。父が一人、畳の上に座っているのだが、彼のお尻あたりから右側へと伸びる「影」が、やたらと長くて濃いのだ。さらによくみれば、その影は父のそばでは薄く、父から離れるに従って濃くなっている。しかしこんな影、自然にあり得るのだろうか?

父の影と言うには、この影は長すぎる。また、父の側で影が薄まるのも変だ。むしろ、父の背中付近で影が薄くなるのだから、これは父のそばに立つ他の誰かの影が父の方へと伸びていると考えてもいい。つまり、「影」になった誰かがそこに立っているというふうに。 そう思いながら見続けていると、今度はカメラが逆方向(庭側)から父をうつす(2時間14分3秒)、とその瞬間、父の後方に伸びていた「長い影」は消えてしまう。まるで、この「影」があり得る自然な影であることを否定するかのように。
だったらこの影は結局、父ではなく、死んだ母(実態の無い者)の影なのではないだろうか(つまり、小津は見えない父の後方に人を立たせて、逆側から光を当てたのではないだろうか)。なぜならその影の位置は、映画冒頭では、実際に死んだ母の座り位置だったのだから。

窓の向こうから近所の人が話しかけてきていることは、映画序盤の繰り返しであることの露骨なサイン/符合だ(序盤で全く同じ人間が同じ画角で同じ窓から同じように話しかけてきている)。

だからこそ、母は死者(息子)の布団で眠る/重なるとき、殆ど「影」のように暗くなっていたのだろう。母が最終的には影へと変化することは、死者の布団に包まれるという「重なり」で暗示されていた。だとしたらここでさらに鍵となるのは大阪に住む三男が2度口にする次のセリフに他ならない。
「孝行したい時に親はなし、されど石に布団は着せられず」
死んだ親(の墓石)に「布団」をかけても意味がない。このセリフは、明らかに「死んだ息子」の「布団」に包まれる母に相対している。であれば重要なのは、三男が口にする生きた人間の時間感覚(親の臨終に間に合うかどうか)ではない。死んだ親の墓に布団をかけても意味がないというのは生者の時間感覚だが、むしろ死んだ息子の布団に逆に親の方が包まれることが描かれるこの映画では、小津は反対に死者の時間感覚を意識しているはずである。
では、死者の時間感覚とは何か?まともにいえば、それは死者にしかわからないはずだ。しかし、一応この映画の特徴から1つ選ぶとすれば、「予告」が最も近しいかもしれない。例えば、生者が「間に合うか/間に合わないか」(母の臨終に間に合うかどうか)を気にするのと違って、死者は反対に「固定された時間」の中にいる。そしてその固定性は、生者から見れば「予告」に見えるはずである。
例えば映画終盤、小学校の教師である次女は、ふと腕時計を見た後、窓の外を見る。

次に映されるのは線路を走る電車だが、その電車には紀子が乗っている。次女の仕草が伝えるのは、彼女が紀子の出発時刻(固定された時間)がいつであるかを知っていた、と言うことである。そして矢継ぎ早に今度は室内へと映像が移り変わると、今度は紀子が父(義父)からもらった母(義母)の時計を開いている。

時計を見る、ということが連続して2度繰り返されているわけだ。であればこの時、紀子は譲り受けた母の時計へと、直前の次女同様にある「固定された時間」(自分がいつ死ぬのか)を、それも母の死亡時刻(死者の固定された時間)と重ねて見ていたのかもしれない。
自分の死が予告される。
他者がかつて生きた時間を、自分がそのまま生きなぞり、生者の時間と死者の時間とがくっつく。普通に考えればそんなの、あまり良い事には思えない。どちらかというと不吉に思える。しかし、だとしても小津は「親の死に目に間に合うかどうか」よりも、「死んだ後も死者について考え続けること」を重視したはずだ。だからこそ彼はありきたりな慣用句(孝行したい時に親はなし、されど石に布団は着せられず)を逆転させた「布団」の場面を写し(それはある種、母の死の予告だった)、そして死んだはずの母の影を父の後ろ側から伸ばし、重ねた。生者ではなく、死者の時間を意識したのだ。