カミュの「異邦人」を読んで
読書感想文です。
自分解釈なので、ご容赦ください🙇
武智倫太郎さんに薦められて、この本を読むに至りました。
正直、難しかったです。
上手く表現できませんが、自分なりに感じた感想を述べたいと思います。
私はかねてより、理不尽、不条理が原因で心身を冒されています。
私は読書が苦手でYouTubeでこの話を探しましたが、評論番組しか見付けられませんでした。評論番組を2、3視聴し、この本をよみました。なので、カミュの生い立ちを知った上での感想となります。
主人公ムルソーは、自分の感情をどこか俯瞰していて、感情的になってはいけないような、言い換えれば、傷つきたくないという欲求を主人公から感じました。
決して冷たい人間ではなく、優しさを兼ね備えた人間だったと思います。ただ、女性に対して感情の出し方がわからない。他人と違う成育環境で育ったカミュの、愛する人(女性)と上手く接し方がわからないという、ある種の母性愛に飢えた部分を垣間見た気がしました。
異性との接し方への描写が、私にカミュ本人を連想させました。
お母さんのお葬式で泣かなかった話や、煙草を吸った、ミルクコーヒーを飲んだ話が、世間から冷たいと罵られ、その表面的な人となりがムルソーを殺処刑へと導きます。
私は、一見、冷徹と思う行動にも愛情が込められていることがあるように思います。
私の話。
私は、実母とはここ数年疎遠です。
毒親で価値観の押し付けが凄くて、私を管理したがります。でも、それは、私が経済的にも精神的にも安定しているとの決めつけた上での前提です。
ですが、私はメンタルの病気になり、母の自慢だった国家公務員の仕事も辞めました。
母には今も内緒です。
言うつもりもありません。
咎められるのも嫌だし、
何より母が心配して、母のメンタルに支障がでる懸念があるからです。
余計な心配はかけたくない。
でも、世間的には表面的には冷たい娘なんだと思います。
世間はその人の表面的な事しか見ない。
多数の意見を正義、当たり前の常識と捉え、そこにはみ出る人間は排除しようとします。
明日は我が身なのに、誰もそんなことは考えない。
目の前にいる異物と化した人間は、ただ表面的に違うというだけなのに。
そして、
権威のある人間の価値観の誘導が、この人達が言うならとのバイアスをかけ、人々を右往左往させます。
そして、ムルソーや私のような人間は、
関係のない人達に、色々と自分を定義づけられ、生きづらさを感じる。
時に、こうあるべきだ、
こう感じるべきだ、
と善人ヅラを大義名分にムルソーの人となりを変えようと、自分達の枠にはめようとする。
ムルソーは自分でも気づこうとしなかった、心に蓋をした心の叫びを声の叫びにする。
それは、この肉体を与えられた世界での生きづらさを当たり前のものと捉え、そこに囚われている自分は、自分だけでなく誰にでも与えられている苦しみなんだと。
自分を否定しなくていいんだと。
他人を変えようとすることは愚かな事だと。
それに気づいた自分に、生きる本質の意味を見出だし、自分の価値観や自分の幸せは誰にでも量ることが出来ない自分固有の宝物だと気づいた。
他人が肉体を蝕んでも、魂は蝕まれることはない。
この不条理な世に未練などないと。
私は、
この世は修行だと思っています。
私に子供がいなければ、ムルソーのように振る舞えたのかもしれない。でも、自分の行動や考えが、少なからず、子供達の内からも外からも影響を与えると思うと、また違った考えを巡らせてしまいます。
この世は本当に複雑で、
誰かにコントロールされ鈍感に生きることが今の世の中では一番生きやすいのかもしれないと考えてしまいます。
理不尽や不条理は地球から与えられた、変えることの出来ない代物なのでしょう。
それが故に、自分の目でみて、自分で感じた思いを覚悟をもって発言しなければならないと思っています。
子供にも、根拠ありきの、責任と覚悟をもった言葉を心掛けてほしい、そう指導しています。そして、安易に他人の事は言うなと。
最後に、
どなたかわかる方がいれば教えてください。
ムルソーはなぜ、5発撃ったのでしょうか。
判事もそこだけがわからないと。
私もやっぱりわかりません。
わからなくていいんですかね。
理由のない行いも
人間の性
とのメッセージなのでしょうか。
追伸
この場をお借りして、
武智倫太郎さんにお礼を申し上げます。
ありがとうございました。
終わり