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推し活というものがわたしにはない。
昔から好きなものがなかった。
親や先生から褒められるような体験ばかりしてきた気がする。
親によく連れて行ってもらったのは、公園、プール、サイクリング、科学博物館、美術館、海、図書館、近所の夏祭り、近所のラジオ体操、、、
小学校3年生からは塾が生活の大半を占めていった。
子ども向けの科学雑誌みたいなのも買ってもらっていた覚えがある。
なんで、夏といえば科学!みたいな風潮があったんだろう?今思うと普通に単純に謎。
小学校の自由課題みたいなやつも、日の入りと日の出の観察とか、花粉症の仕組みとか、犬の図鑑、宇宙の絵、などなど、、、なぜか理系っぽくて高尚なものばかりやっていた。
もっと自由に、高尚じゃなくても本当に興味を持ったことを調べてもよかったのに、私には自分の意思を持つ、自分で何かに興味を持つということができなかった。
そのために、意味のありそうなものを、褒められそうなものを選ばざるを得なかった。
じゃあ親に何をしてほしかったかというと、あんまり別にないんですけどね。他の家庭も知らないし。
姉弟と、「将来、何になりたい?」の問いかけと、友達と流行りの遊びをさせてくれる寛容さは、ちょっと欲しかったかなぁ。
推し活をしている人たちには本当に純粋に心から感心する。
なぜ、そんなにも誰かや何かを好きになれるのか。
私にはわからない。
そういえば、中高生の頃はバンド開拓にハマっていたなぁ。それが転じて、大学生の前半は映画開拓。サブスク時代の今じゃ考えられないけど、TSUTAYAには少ないお小遣いで精一杯貢がせてもらいました。
大学生後半~大学院生の頃は、とにかく海外に行くことにハマっていたな。あまりたくさんバイトはできなかったので、他人のお金(大学の国際課?のお金、所属研究室のお金、所属してない研究室のお金(笑)、祖父母からもらったお金、親からの借金…etc.)であの手この手でやりくりしてたなあ。懐かしい。
今、少し心の元気がないのかもしれない。
または、私には自閉傾向?分裂気質?が多少なりともあるのかもしれない。
それにしても、推し活できるコトモノ・推し事があったらどんなに幸せなんだろうと思う。
隣の芝は青く見えるってやつかもしれないけどさ。
今となっては、円安だわ物価高騰だわ旅行もウカウカ行けないじゃん。
そもそも、色々それなりに旅行した結果、旅行や1ヵ月程度の語学留学、学会、出張程度の海外経験は、大体どこも同じだなぁと思ってしまったのです。
本気で海外で学ぶとか働くとか、国際結婚する(ならまず離婚しないといけない…)なら別かもしれないけどさ。
なんかな~ハマれることがないよ~ぴえん、て状態なのです。
人生、急がば回れ、色々試していくほかないのかなと思うこの頃でございます。
P.S. 最近再び美術館にちょっとハマり始めている(遺伝?生育環境?)。
推しの画家さんでもできるともっと良いのだけど、、ゆうて絵画を買う余裕はあるわけないからどこにたどり着くのかはわかりませんが…
夫に野球の試合にでも連れて行ってもらおうかな~??(迷走中)