これまで、どうしてきましたか?
2016年3月11日にSMBC主催の舞台『イシノマキにいた時間』と展示会をやらせていただいた。展示会のタイトルは
これまで、どうしてきましたか?
これから、どうしてゆきますか?
でした。
東日本大震災から5年が経ったこの時、大きく展示された写真には、話を聞かせてもらった人たちの『一番伝えたい言葉』が書いています。
石巻の人、石巻を通して知り合った人、石巻よりも前から知ってた人、石巻をキッカケに濃い付き合いをするようになった人が、大切な人たちを想いながら伝えたいと感じた事を冊子にして配りました。
公演の前に読んでくださった人、公演を見終わってから読んでくださった人たちは、いま、どうしてるんだろうと、ふと思いました。
僕の手元にも1冊だけ残っています。
11年が過ぎ、もう一度、この冊子を読みました。
大切なことが書かれていると思っています。この冊子に残されたいくつかの言葉を少しづつ紹介しようと思います。それが、みなさんの防災・減災につながればいいなと思います。
石森裕治さん。
鹿立浜(すだちはま)の漁師というか、浜の大将・石森さんと初めて会ったのは2011年10月に鹿立浜の漁業支援でボランティアに入った時だった。
この日は風が強くてめちゃくちゃ寒くて、石森さんが「よ〜し休憩するべ!カフェさ連れで行くからついて来い」と言って、ボランティア10人を、自分の住んでる仮設住宅に連れて「ホレ、ココアでいいべ?」と、マグカップが足らなくて、いろんな器にココアを入れてくれた。
めちゃくちゃオモシロいオジサンだった。
そんなめちゃくちゃオモシロいオジサンは、後に知ったのだが、逆に僕のことを、めちゃくちゃオモシロいボランティアだと思ってたらしい。
仮設住宅の中では、いろいろ話をして、結局この日の活動は、めちゃくちゃオモシロいオジサンの仮の家で、めちゃくちゃ笑いながら話すという活動でした。
そんな、めちゃくちゃオモシロいオジサンが、何気なく言った言葉が、いつまでも僕の中で残って、その言葉が舞台のセリフにもなりました。
「ここには布団も冷蔵庫もテレビも全部揃ってんだけど、部屋ん中ガラーンとしてんのよ。振り返る思い出がなんもないんだわ」
石森さんは津波で自宅が流されて何も残ってませんでした。家族の写真もすべて流されて1枚も残ってなかったそうです。
部屋には、震災後に撮った新しい写真が、何枚か貼ってありました。そして次に石森さんの浜に入った時、あの寒い日に石森さんの仮の家の前で、みんなと撮った写真をプリントアウトして、部屋に貼ってありました。
これから、振り返る思い出を、たくさん撮って欲しいと思ったのを覚えています。そして、その後、石森さんの浜には何度も漁業支援に入り、僕が、東京で『イシノマキにいた時間』という舞台をやってるというのを知って
「シゲさん『イシノマキにいた時間』を石巻でやんねぇで、どうすんだ?」
と言って、浜に一番近い東浜小学校の教頭先生に話して体育館で公演をやるという話まで持っていっためちゃくちゃオモシロくて、めちゃくちゃ勢いのあるオジサンでした。
そんな石森さんの言葉です。
大っきい地震が来たら、とにかく避難しろ。高台さ逃げろ。としか言えない。誰かがいい言葉を言ってたんだけど、『100回地震が来たら、津波が来なくても100回逃げろ。で、101回目も逃げろ』って。それ、ほんとだと思ったよ。俺の言葉じゃないけども。
2016年1月から1ヶ月、石森さんの牡蠣剥きを手伝わせてもらいました。朝5時半に起きて、慌ただしく朝食を食べて、まずはナマコ漁。その後牡蠣剥きという生活を1ヶ月やらせてもらったのですが、その時の話は・・・
またいつか。