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わたしの歯みがき粉| 母とのこと #3

弟が生まれたときのことは、おぼろげに覚えている。

家に母がいなくて、父が連れて行ってくれたところに母がいた。
ちょっと見上げるような目線で母を見たのを覚えている。
きっと病院のベッドの上にいたのだろう。

そのとき母が弟を抱っこしてたのかどうか、
そのとき弟に会ったのかどうか、は、覚えていない。

ただ、家に母がいなかったこと、
父が連れて行ってくれた、病院であろうところに母がいたこと、
だけを覚えている。

***

初めて弟に会ったときのこと、母と弟が家に帰ってきたときのことは、覚えていない。

***

ある日、買い物に行ったときに母にねだって、子ども向けの味付き歯みがき粉を買ってもらった。

その日だか次の日だか、母が弟の歯を磨こうとしていた。
母は弟の歯ブラシをわたしに渡して言った。

「あの新しい歯みがき粉、つけてきて。」

えっ?
あの歯みがき粉は、わたしが買ってもらった
わたしの歯みがき粉なのに?

納得いかなかったから、代わりに弟の歯ブラシに
洗面所にあった石鹸をつけて渡した。

それを見た母は言った。

「なんでそんなことするの?」

それは、理由を聞いている口調ではなく、
責めている口調だった。

母は何かあるとよく、その口調で「なんでそんなことするの?」と言った。

理由を聞こうとしているようには聞こえなかったから、わたしはいつも押し黙った。

***

わたしはそういう風に、弟にわたしのものを渡したくない、弟にわたしのものを奪われたくない、といつも思った。自分のものを一緒に使おうなんて思えなかった。

具体的に何があって、わたしがそう感じるようになったのかは覚えていない。

***

弟は、わたしが三歳になるすぐ前に生まれた。

三歳ごろに弟や妹ができると、上の子は「母親を取られた」と感じやすい、とどこかで読んだことがある。

また、「愛着障害 子ども時代を引きずる人々」には、こう書かれている。

二、三歳の時期は、母子分離不安(子供が母親から離れる際に生じる不安)が高まる時期であり、この時期に無理やり母親から離されるという経験をすると、愛着に傷が残り、分離不安が強く尾を引きやすい。

わたしの母は物理的に離れて行ったわけではなかったけど。弟が生まれたことで、母の関心の六割以上はわたしから離れて行っただろう。だって、赤ちゃんのほうが手がかかるから。

母は何につけてもあまり深く考えていない、ちょっと無神経な人なので、わたしがどうして歯磨き粉を共有しようと思えないのか、なんて、考察しようともしなかっただろう。この子はケチなのね、と思っていただけだろう。実際にそう言われたこともあったし。

そして、自分の行動を客観的には見られない人なので、その言い方で「なんでそんなことするの?」と聞いても、わたしは責められていると感じてしまうかも、思っていることを話せなくなってしまうかも、なんて、想像もしていなかっただろう。その言い方は、わたしが大人になって母に本気で怒れるようになるまで続いていたから。

***

わたしは、かまってほしい年齢のときに十分にかまってほしかったんだと思う。わたしの気持ちをちゃんと聞いてほしかったんだと思う。

でもそういうのが足りなくて。
求めても、弟に手がかかってしまっていた母からは十分に得られなくて。

いつしか、求めることも苦手になっていった。

そして、いつも不安だった。

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