all or nothing
私は自分の中の「親しい人」の定義に苦しんでいた。親友って何?親しい人って誰。自分が必要とする人?大切に思う人?自分を大切に思ってくれる人って何?
定義の仕方は人それぞれだが、私の中では「自分のことを大切に思ってくれている人」の定義として「自分にとって辛いトゲトゲした言葉を投げてこない」という物差しが強いと思う。
昔から誰かに妬まれたり、蔑まれたり、なにかと当たられることが多く、その多くは言葉で私に振りかかってきたこともあり、周囲からのトゲトゲした言葉には人一倍敏感だった。さらに昔はそれをうまく流せず抱え込んでいたから、自ずとそう言う人に出会わないように、距離を取るようになっていた。だから、親しい人と思う相手からなにか嫌なことを言われたり、腹が立つような言動を少しでもされた場合に、「なぜ仲良しなはずの君がそんなことをする・言うのさ!」と苦しんでいた。
自分が嫌われているからそんなことを言われた、自分が相手の尺に触ることをしたからやり返された
いつもそう思ってしまっていた。相手からそう言う様子が少しでも感じられたら、「嫌われている」と判断し、対人恐怖を感じて距離をとっていた。
しかし自分のことをとても愛してくれる人が目の前に現れてから気づいたことがある。それは、どれだけ自分のことを大切に思ってくれている人でも、悪意なく自分が傷つく言葉を発してくると言うことだった。
普段一緒に過ごす時間が長くても、相手のことを知ろうという積極的な態度であっても、100%相手の好き嫌いを頭に常に入れておくことはできない。また、100%相手の好き嫌いに合わせた会話や行動をすることは難しいし、みんな実はできていないのではないか?と気づいた。
自分は自分に自信がなくて、相手のトゲトゲ(相手には悪意はなくこちらの受け取り方の問題)にとても敏感になって、心の中で繰り返し咀嚼しては傷ついて、していたのではないか。
もちろん世の中には意図的に悪意をぶつけてくるような人もいるし、それに耐えろと言っているわけではない。でも、トゲトゲをすこしでも相手から感じたら嫌われてる、と言う思考回路はとても偏っていると思った。
今日からの私はもう少し、思考回路をもにもに柔らかくして、嫌われてるかもという心のハードルを少し下げて、もう少し自分を愛されてるかもしれない存在として受け入れてみようと思う。
もちろん、明らかに悪意を持って近づいてくる人には心の中であっかんべーなのだ、べー。