食事を振る舞うことが芸術?リレーショナル・アートとは?【リクリット・ティラヴァニと関係性の美学】
“リレーショナル・アート”という言葉を知っていますか?
リレーショナル・アートは、“関係性の芸術”と言われています。
作品の内容や形式よりも「関係(relation)」を重んじる芸術作品の総称で、1990年代後半から広く用いられるようになりました。
アートを日常性と対立したものではなく、相互に依存し、作品制作のモチベーションにも不可欠な関係にあるとする立場、もしくはそれによって生み出される作品のことを指し、リクリット・ティラヴァニによるギャラリーで食事を振る舞うプロジェクトなどはその典型です。
この記事では、そんなリレーショナル・アートの位置付けや、その代表作家を紹介していきます。
ギャラリーで食事を振る舞うことがアートなのか。
ぜひ一緒に考えてみましょう!
1. リレーショナル・アートの立ち位置
リレーショナル・アートにおける「関係」とは、作品と鑑賞者とのあいだに生じる関係のみならず、どちらかと言えば作品の制作過程で生じる周囲との接触関係に重点が置かれています。
表現上のスタイルよりも、作品が作り出される目的やコンテクスト、さらには作品の公共性を重視しており、ある状況や出来事を生み出す過程、それにともなう人々の「参与(participation)」がその作品の本質です。
この点においてリレーショナル・アートは、鑑賞に際する「作品」と「鑑賞者」との相互作用を重視する“インタラクティヴ・アート”とは区別されます。
リレーショナル・アートは、1990年代の後半、フランスのキュレーター・美術評論家であるニコラ・ブリオーによって提唱され、彼が企画を担当した国際展「トラフィック」展や著作のなかで用いたことにより、その考え方が広く浸透、また是非が問われることになりました。
この提言の背景には、冷戦後のグローバル社会や、インターネットの急速な普及に伴うボーダレスな情報環境の出現があり、それゆえ必然的に登場したとも捉えられます。
リクリット・ティラヴァニ、リアム・ギリック、フェリックス・ゴンザレス=トレス、フィリップ・パレーノ、ヴァネッサ・ビークロフト、平川典俊などボーダレスな活動を展開している作家がその代表格です。
作品と社会の関係を重視するその姿勢は、1960年代のフルクサス、1970年代のコンセプチュアル・アートからの影響も認められ、リレーショナル・アートは脱物質化を究極まで推し進めたものと言えます。
一方、「関係」という言葉の汎用性ともあいまって、リレーショナル・アートという言葉は当初の定義を越えて、何らかの仕方で社会性を主題に掲げた作品や、地域密着型のプロジェクトなどにも今日広く用いられています。
派生的に「リレーショナル・デザイン」「リレーショナル・アーキテクチャー」と呼ばれる場合もありますが、作品の質的判断以上に作品の日常性との関係性を重視するその本質は同じです。
2. ギャラリーでパッタイを振る舞う
リクリット・ティラヴァニは、タイの外交官の息子で、1961 年、アルゼンチンのブエノスアイレスで生まれ。1990年代初頭、グローバル化や多文化主義の広がりとともに登場したリレーショナル・アーティストの代表の一人です。
彼は幼少期、タイ、エチオピア、カナダを転々としながら育ちました。
カールトン大学で歴史を学んでいましたが、その後トロントのオンタリオ芸術大学(1980–84)、バンフ・センター・スクール・オブ・ファイン・アーツ(1984)、シカゴ美術館の学校(1984–86)およびニューヨークのホイットニー独立研究プログラム(1985–86) でアートを学びます。
1982 年にはニューヨークのマンハッタンに引っ越し、ニューヨーク、ベルリン、バンコクなどを拠点にアーティストとして活動しています。
そんなリクリットが1990年に始めたのが、ニューヨークの画廊でオープニングにタイ風焼きそば(パッタイ)を客に振る舞うプロジェクト〈無題(パッタイ)〉。
これが国際的に注目され、1992年の〈無題(フリー)〉では、祖母直伝のレシピでタイカレーを振る舞い、アートと日常の境界を曖昧にします。
また同時に、ギャラリーの展示スペースとオフィス部分を空間的に入れ替え、公私の境界をも曖昧にしました。
またタイ料理を客に振る舞う行為は、欧米圏からすれば、アジアのエスニックな食文化や大皿料理を共有するアジア的食習慣との出会いの場となり、作品を通して自身の文化的、歴史的文脈を詳らかにする新しい時代の表現を象徴するものでもありました。
これらリクリット・ティラヴァニの作品は、先に述べたニコラ・ブリオーが1990年代に顕著に見られるようになった表現を自著「関係性の美学」のなかで、
「アートの非モニュメント性、非物質的存在性、展覧会オープニングに比重の置かれた人間相互の関係性や社会性、エンターテイメント性などの特性を象徴するもの」
として頻繁に言及されています。
また同書の中で、“関係性の美学”を持っているとも評されています。
実際、「食」や「住」といった平凡な日常の営為を、ほとんど何の手も加えないままアートのための空間や状況に持ち込んだティラヴァニの手法は、デュシャンの〈泉〉発表時の周囲の驚きを想像させ、観客が眼前の状況へ参加することで意味をなすコンセプチュアルな枠組みは、1960年代のハプニングも紡彿させます。
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