どうしてクリスマスは浮き足だつのか。
こんにちは。
大坂谷(オオサカヤ)です。
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さて、明日はクリスマスイブですね。
毎年、クリスマスが近づくと、世間が浮き足し立って見える感じがします。
私はクリスチャンではありませんし、サンタクロースの存在を信じているわけでもありませんが、私自身もクリスマスが近づくとなぜだかハッピーな気持ち(幸福感、高揚感といった感情)になります。
ただ、このハッピーな気持ちも毎年という訳ではなく、世間の状況やその年の自分自身の状況によっても変わる気がしています。毎年同じ日に、同じ様に催されているにも関わらず、気持ち(幸福度)にもややムラがあるんですよね。
今回は「どうしてクリスマスは浮き足だつのか(クリスマスの幸福感は何が決定づけるのか?)」について思考を深めていきたいと思います。
ちなみに、結論ありきで掘り下げているわけではないので、着地するか不明です。頑張って不時着を目指します。
また、今回の内容はラジオでも収録しております。お好みの方法にてチェックしてみてください。
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❚クリスマスとは?
幸福度を知る前に、まずは、そもそもクリスマスとはなんなのか?について調べてみました。
まずはクリスマスという言葉から。
なるほど。
「クリスマス=賑やかなイベント」という認識をしていましたが、実は厳かな祭事を指すようです。実際、キリスト教を信仰する方々のクリスマスは、教会でお祈りをしたり、家の中で家族そろって食事をしたりと、わりと地味なものも多いのだそう。
続いて、クリスマスの歴史について。
日本のクリスマスの歴史は、1552年に山口県で宣教師たちが日本人を招いてキリストの降誕祭のミサを行ったことが始まりだそう。その後、順調に普及したかと思いきや、江戸時代にはキリスト教弾圧により排斥されていたそう。
しかし、そこから明治時代に入ると、改めてクリスマス文化が到来し、現在の様に普及したのだとか。
ちなみにその時、いち早くクリスマスを取り入れたのは、俳人である正岡子規だといわれており「八人の子どもむつましクリスマス」という句も遺しています。
❚クリスマスのイメージ
こうやって調べてみると、本来のクリスマスは祭儀や儀式的な意味合いが強そうなことと、事実ベースではイベントチックになっていることを考えると、歴史や背景を掘り下げる事は幸福感とは直結しない感じがします。ですので、一旦、実際にクリスマスに行われている事について考えてみたいと思います。
ここはストレートに「クリスマスといえば、何を連想するか?」ということをググってみました。
出てきたのは以下の項目です。
確かにこういったイメージはあるかと思います。
これらにわかりやすい共通点があるわけではありませんが、抽象度を上げて共通点を挙げるなら「非日常」「華やかさ」といったところでしょうか。
もしかするとクリスマスに対して上記ようなモノ・コトを期待したり連想することで「幸福感」「高揚感」といった気持ちが湧き出てくるのかもしれません。
幸福度を決定づける要因を特定できてはいませんが、少し近づいた気がします。
❚クリスマスのネガティブイメージ
クリスマスのイメージについて調べている時、関連するキーワードとして「クリぼっち」「リア充クソ」といったキーワードも目立ちました。
先ほど挙げた「ケーキ」や「サンタクロース」なんかがポジティブイメージとして出てきていたこととは裏腹に、「クリぼっち」「リア充クソ」はネガティブイメージとして語られているような印象を受けました。非常に興味深い。
まずは、クリぼっちについて調べてみました。
なるほど。
文脈を読み解くに「クリスマスなのに一人ぼっち」と言っているように聞こえてきます。このため、「クリスマス=誰かと一緒に過ごすもの」という前提が成り立っている気がします。
どうしてそう解釈したのかを補足します。
単純にクリスマス以外の祝祭日で、以下のような事は言われないからです。
他にも、昼ごはんを一人で食べていたとしても、昼ぼっちとか言わないですし、日曜夕方にカフェでお茶をしていたとしても、カフェぼっちとか、お茶ぼっちとか言われないです。
このため、わざわざクリスマスに一人で過ごすことに対し「クリぼっち」という名称をつけているということがわかります。
確かに、一人でケーキを食べたり、一人でプレゼント交換したり、一人でサンタクロース格好をしたとしたら、やや虚しくなってくることは想像に難くないかと思います。このため、言わんとしていることはわかる気がします。
続いて、リア充クソのリア充についても調べてみました。
なるほど。
充実している人に対して、自虐的な要素を含めて使われる言葉ということがわかりました。これを踏まえた上で「リア充クソ」の文脈を読み解いてみます。おそらく、以下のような文章になるかと思います。
「クソ」はどこに入れていいかわからなかったので、最後にくっつけてみました。
話を戻すと、事実ベースで考えると当人がクリスマスを1人で過ごすことと、周りの人がクリスマスを誰かと過ごす事には、表面上は何の因果関係もないかと思います。
ただ、確かに幸せなそう人や楽しそうな人を見ると、その差分で自分が不幸せであるかのように錯覚してしまうことはあるかと思います(私もたくさんあります)。そんな時、相手方を比喩的に批判する(主観的に差分を埋める)ための象徴的な言葉として「リア充クソ」なのかもしれません。
確かに、私自身も予定の入っていないクリスマスはなんだか寂しかった気がします。仲の良い友人たちも「クリスマスは(恋人や家族と過ごす日だから)誘ってはいけない」とでも言うような空気感があったので、結果的に1人で過ごさなければいけないと言うこともありました。
❚結果、何が決定づけるのか
こうやって考えてみると、クリスマスの幸福度を決定づけるものは「一緒に過ごせる相手がいるかどうか」ここがポイントになってしまう気がします。
ただ、これだと「一緒に過ごす人がいるor一緒に過ごす人がいない」の二元論で、クリスマスの幸福度が左右されるという結論になってしまいます。
少し情緒的な話になりますが、私自身もクリスマスを1人で過ごしたことは何度もありますし、今後もないとは言い切れません。自分が悪いことをした訳でもないのにもかかわらず、不可抗力的に切ない気持ちになってしまうのは嫌なので対策を練っておきたいものです。
いま不可抗力的と表現しましたが、確かにここまでの話は環境要因つまり受動的な観点で考えてきました。逆に能動的に動いたとしたら幸福度はどのように変わるのでしょうか。
クリスマスにおける能動的な行為とは何でしょうか。
実は、ここに関しては理屈で考えても出てこなかったため、別の角度から考えてみました。昔、読んだ本の中に「クリスマスイブの日に、とてもハッピーに過ごした男性の実話」があったことを思い出しました。
この話の中にヒントがあるような気がするので、一旦読んでみます。
❚理想の兄の話
「こころのチキンスープ―愛の奇跡の物語」という本に書かれている実話です(一応、最下部にリンクはっておきます)
❚与えることの効用
確かに、ポールのように、誰かに何かを与える時、また、相手の喜ぶ顔を想像しては幸せな気持ちになることはあります。
一方、誰かと過ごしていたとしても、どんなに素晴らしいプレゼントをもらったとしても、幸せな気持ちになれない人もいるのかもしれません。例えば「期待していたプレゼントと違った」「予約していたレストランの味が好みじゃなかった」こういった事で幸福度が目減りしてしまうことはあり得るかもしれません。
ただ、これららは自分が与える側(能動的な立場)ではなくて、受け取る側(受動的な立場)に立っているから起きることかと思われます。
このように考えてみると、
こうやって見返りを求めず、ただ相手のことを想い、与えることの最大の効用は、
こういう事なのかもしれません。
確かに、かのアルフレッド・アドラーもこんな言葉を遺しています。
一旦、「クリスマスの幸福度」に話を戻します。
環境要因を変える事はできなかったとしても、クリスマスというイベントも日本からなくすこともできなかったとしても、ポールや少年のように自分自身が主体となって誰かに何かを与える事はできるかと思います。
もちろん現実的に考えて「与える相手がいない」「思いつかない」という場合もあるかと思います。その場合はどうしたら良いのでしょう。
そのヒントとなりそうなことが、あるデパートの広告に隠されていたので共有します。
誰かに微笑みかけることで、その相手が笑顔になったり喜んでくれたとしたら、それは相手にとって最高のプレゼントになるのかもしれません。そして、その相手が喜んだ笑顔をみて、そこからまた自分自身が受け取れるものもあるかもしれません。
ここでポイントになりそうな事は、与える相手はお互いにとって特別な存在である必要はないということ。そして、特別なプレゼントを用意する必要もないということ。
繰り返しになりますが、自分自身が主体となって、誰かに何か(言葉や些細な贈り物)を届ける事はできます。そして、それによって相手が喜んでくれたり微笑んでくれたとしたら、自分自身も幸せな気持ちになれるかもしれません。
ここまで語ってきた「与えたら、幸せになるかも」ということについては、あくまで希望的な観測に過ぎないかもしれません。
しかし、1つだけ確実なことがあります。
それは、幸せになる選択肢(切符)は自分自身が持っているということは確かなことです。自分自身の行動、行い、行為、これらによって自分自身の幸福度は決定付けられるということは確かです。
ということで、つらつら綴ってきました。改めて、、、
明日はクリスマスですね。
些細なことかもしれませんが、こういった一言、このような小さな一歩が、非日常で華やかなクリスマスを演出してくれるのかもしれません。
❚話の結論
つらつらと書いていった感じではありますが、なんとなく着地した感じはあります。特に読み直していないので、論理構造が崩れている場所もあるかとは思いますがご愛嬌ということでお願いします。
一旦最後に話をまとめてみます。
ここまでの話をまとめると以下のようになるかと思います。
以上!
❚引用した本
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