幸福と幸福感は同じではない
幸福と幸福感の話は前にも書いたような気がするけど、また書いてみる。
最近では、幸福についての考え方がかなり多様化してきたよね。「幸せってのは、自分の気持ちで決まるんだろ!」っていう声が、社会でよく聞かれるようになった。でもね、そんな幸福と、幸福感とは、実は微妙に違うんだ。
例えば、幸福感を生み出すための超絶な機械が実現できたとしよう。それにつながれたら、望む夢や理想の人生を手に入れることができる。ただし、一度セットしたら取り外すことはできない。つまり、一度この「経験機械」に繋がれたら、あなたの現実はその中でしか存在しないことになるんだ。
でも、その幸福感ってのは、ただの夢のような感覚だよね。現実から逃げるようにして、幸せな気分に浸っているだけの状態。そんな生活って、本当に幸せなのか?
さて、あなたはどうする?この「経験機械」を使うかどうか。この思考実験を提唱したのはロバート・ノージックだけど、私は薬物中毒者が経験する多幸感が、まさにこの状態に似ていると思っている。でも、幸福感があればそれでいいって思う人もいるかもしれない。たとえ現実がどん底でも、自分の感情が幸せだと感じていれば、それで十分だと考える人もいるんだろうね。
ただ、幸福感を追求し過ぎるのも考えものかもしれない。この一瞬の幸せに固執しすぎると、現実を見なくなることもあるからね。でも、最近はなぜか、幸福感を大切にする人が増えているように感じる。本当の不幸に苦しんでいる人よりも、中途半端に快適な生活をしている人が、その幸福感を大切にしているように思えるんだ。
もちろん、幸福感が大事なのは間違いない。でも、幸福感だけで現実を見失わないように、バランスを取ることも大切だと思うんだ。