【事例紹介】気候シニア女性の会 vs スイス政府(前編)
小出 薫(弁護士)
1.「気候訴訟」とは
あなたは、「気候訴訟」について知っていますか?
気候訴訟は、国、企業や、企業の役員に対して気候変動対策を求めたり、いわゆる気候ウォッシュ(気候変動対策をしているかのような見せかけのPR)を是正するように求める裁判のことです。
2.世界で生まれている「気候訴訟」の潮流
これまでに、世界各地では、2,600件を超える気候訴訟が提起されています。
このうち半分ほどは、「訴訟社会」と言われるアメリカで提起されています。しかし、残念ながら気候変動問題を政府や企業の自助努力に任せておいては解決しないことが各国共通の事情のようで、アメリカ以外にも市民や環境団体が裁判を起こす流れが生まれています。
3.気候シニア協会によるスイス国内での訴訟
今回は、数ある気候訴訟の中でも、いま注目されているスイスのKlimaSeniorinnen Schweiz(高齢女性を中心とする「気候シニア女性の会」)の事案を紹介します。
⑴ DETECに対する申立て
気候シニア女性の会は、2016年、スイス連邦環境・運輸・エネルギー・通信省(DETEC)に対しスイス行政手続法に基づいて、不十分な気候保護政策の停止を求める申立てを行いました。
同協会は、同省は、地球の平均気温の上昇を産業革命以前と比べ2℃を十分に下回る水準、または少なくとも2℃を超えないように温室効果ガスの排出を削減する措置を講じるべきだと主張し、即時の対策を求めたのです。
⑵ 1.5℃目標とは
同協会の申立ての背景にあるのは、国際的に認められている1.5℃目標です。
1.5℃目標は「産業革命前と比較して、世界の平均気温を(せめて)1.5℃の上昇にとどめる」という目標です。人為起源の気候変動の進行をくい止めるための議論が続けられる中、2015年のパリ協定で初めて国際的な合意文書の中に努力目標として登場し、2021年のグラスゴー気候合意で正式に世界の共通目標となりました。
スイスも日本も、この1.5℃目標の達成に向けて温室効果ガスを削減することを約束しています。
現在、地球の平均気温は約1.1℃上昇したとされており、その上昇でも日本では猛暑日の数が劇的に増えています。日本だけでなく、地球上の気候の変化によって、熱波はもちろん、山火事や風水害など、これまでにないような規模の災害が世界中で増加しています。1.5℃の上昇が地球環境や私たちの暮らしにどれほど大きな変化をもたらすか、私たちがこの夏体験したことからも厳しい未来が想像されます。
また、南極の氷が解け、永久凍土の中のメタンガスが噴出するなど、気候システムが劇的かつ不可能逆的に変化し、ドミノ倒しのように元に戻れなくなってしまう「ティッピング・ポイント」(臨界点)は、1.5℃から2℃の平均気温の上昇によって起こる可能性が高いと予想されています。1.5℃を超えて世界の平均気温が上昇すると、いつティッピング・ポイントを迎えても不思議ではない危険な世界へ足を踏み入れてしまうと言えるでしょう。
⑷ DETECと連邦行政裁判所の判断
ところが、DETECは、気候シニア女性の会の申立てを受け入れませんでした。そこでは、CO2排出量はDETEC単独では規制できず、世界規模の規制に委ねられるべき、などとする見解が示されました。しかし、これでは、誰もが「他人任せ」になり、対策が進まないことになります。
そこで、気候シニア女性の会は、スイスの連邦行政裁判所に上訴しました。しかしここでも、訴えは却下されました。高齢者のみが気候変動により特別な影響を受ける訳ではないなどとして、申立てを行う適格がないと判断されてしまったのです。スイス連邦最高裁判所も、連邦裁判所の判断を支持し、訴えを却下しました。
4.欧州人権裁判所へ
そこで、気候シニア女性の会は、欧州人権裁判所に提訴しました。欧州人権裁判所は、欧州人権条約に基づいて、加盟国の国内で手続を尽くしても救済が認められなかった場合に、審理を行う国際的な人権救済機関です。
そこでどのような判断が下されたのかについては、後編につづきます…!