この先の生き方(私の人生護身術)第1章#2
生き方と人間関係(第1章)#2
見栄は張らないこと
一昔前の出来事なのですが、親類の集まりがあり高齢の方々の話を聞いていると、まるで見栄の張り合いのように感じました。内容は、孫がいい就職先に務めている、要職に就いている、孫が有名大学に入った、今、貯金はいくらあるなど、金に困っていないような話や、他人の悪口や批判じみたことも言っていたと記憶しております。
そんな話を聞いていた私は、あまり身内の情報をペラペラと言わない方がいいと感じていましたが、どうしても自分達が優位であることを示したい人がいるのです。それが現代では、その自分の口から出た情報が様々なところに拡散し、ひいては窃盗事件や強盗事件に発展したりしている可能性もあるのではないでしょうか。
しかし、そのような方々は、自分自身が痛い目に合わないとわからないのかもしれません。また、自分や家族が不利な状況時は沈黙していて、逆に上手くいっている人を妬み僻みの対象とするかも知れません。なので、こちらも当たり障りのなく接していた方がいいでしょう。
長い人生のなかで、誰しもが家庭や仕事が順調であることは嬉しいことですが、全ての人が上手くいっているとは限りません。なかには苦しい立場の人もいることを考えれば、内輪だけで喜べば済む話です。順風満帆な時にペラペラと喋るのは構いませんが、それが何のメリットがあるのでしょうか。それが逆に、長い人生のなかで自分の首を絞めてしまうというデメリットでもあることを忘れてはいけません。
私は、馬鹿みたいにペラペラ喋っていても、言ってはならないことは決して言いませんし、成功談より失敗談や恥ずかしいことなどを積極的に話します。それで私のことを馬鹿にする人がいるのならば、その人は過去現在において一点の曇りもない人なのか。人間性も優れている人なのか。を私は考えます。だいたいそのような人は、「あなただって・・・」と言いたくなりますし、”自分さえよければいい”という人が多いと、個人的には思っております。
さらに私は、失敗談などを私に話してくれる人に、とてもいい印象を持ちます。これは個人の考え方なので何とも言えませんが、世の中に失敗がなかった人はいないと思います。例えば、自分の若い頃の失敗を棚に上げて、新人などには、いかにも自分は最初からできていた、失敗なかったような発言や態度を見せ、追い詰める上司や先輩もいるのではないでしょうか。そのような人は、人間的にも信頼に欠けると思いますし、その組織には様々な問題があるのではないかと、個人的に思います。
どんな人にも悩事は必ずあると思いますし、自分自身や家族の体調やお金のこと、子供の事や将来の不安など、悩みの無い人はいないのではないでしょうか。その悩みを解決するために、頑張って生きている方も世の中には大勢いるのではないでしょうか。そのような事実を棚に上げて、自分は凄いと”世間体”や”体裁”を整えたとしても、いいことは何一つありません・・・。
長い人生、何が起こるかわかりません。(自分自身、家族、身内を含めて・・・)
〇ひとこと
極端に面子(めんつ)を気にしていると、長い人生の中で後々後悔することがあります。
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