「美術館女子」騒動はなんだったのか
いきなり質問になるが、あなたは美術館でポストカードを買ったことがあるだろうか?展覧スペース末尾の売店、そこに待ち構えていたかのように大量に並ぶ、"あれ"だ。
私に関していえば、基本的に買わない。過去に購入していた時期もあるにはあったが、最近では断として買わなくなった。 第一に実用性に欠けるのだ。オリジナルを感じるのが無謀に思えるほど矮小で、加えて画質もお粗末。自宅で絵画を楽しみたいなら複製画を買えばいいし(現在では質の良い安価な複製画がいくらでもある)、少なくとも私にはポストカードから絵画の印象を想起することは出来ない。箪笥の肥やしになるのがオチだ。
さて、そろそろ本題の「美術館女子」に移ろう。何を隠そうこの「ポストカード」こそが、「美術館女子」のキーアイテムだ。
Instagramを開けば、美術館の訪問報告と共に目に入る、壁中に貼り付けられたポストカードの写真。混雑と長蛇の列を耐え抜き、その上チケットと同額かそれ以上の金額を支払っていることからも、彼らにとってそれが如何に重要であるかは明白だ。
「美術館女子」にとって重要なのは「自分が美術館を訪れた」という事実であり、その事実は確かな証拠と共に周知される必要がある。彼らの喧伝活動はどのようにして行われるか?
美術館前で自撮りしてしまえば手っ取り早いが、それで周りから「無教養」だと思われては本末転倒だ。そこで考案されたのが、ポストカードという「戦利品」を利用する方法だった。
なるほどポストカードであれば美術館が公式に出している物であるから無節操な印象は薄まるし、部屋に飾ることで「カジュアルに美術を楽しんでいる」といった洗練された印象も与えられる。実に効果的だ。
先日、「美術館女子」というワードがあれほど多くの人々の神経を逆撫でしたのは、そんな浅はかさ、彼らの「恥部」とも言えるメンタリティが公になったからではないだろうか。あくまで暗に周知され、口に出されることはなかった不都合な真実が白日のもとに晒されたからこそ、「美術館女子」達は過剰なまでに反応したのだ。
断っておくが、私は彼らの姿勢を不誠実だと糾弾するつもりもないし、美術に対する向き合い方に関しては至ってリベラルだ。Instagramで消費するも良し、教養人を気取って美術談義に花を咲かせるも良し、一人で夢想するも良し、である。
私個人に関していえば、美術の歴史の中で常に存在する彼らのような俗物の醜さこそが、美術本来の美しさを際立たせているようにすら感じられるのである。