映画と原作は違う
「ほら、奇跡なんてすぐ起こっちゃう。」
マンガ『四月の君は嘘』のなかで、病に侵されたヒロイン・宮園かをりが主人公・有馬公生へ贈った言葉だ。もう立つことができないほど進行した病状で、公生を奮い立たせるため、自分自身を鼓舞するために放ったセリフである。物語のクライマックスで、もう終わりは予期できてしまうにもかかわらず、キャラクターを崩すことなく彼女にこの言葉を言わせてしまえるところに、新川直司の作家としての底力を感じる。
『四月は君の嘘』はマンガを原作としてアニメ、実写映画が作られている。映画『四月は君の嘘』は主演に広瀬すず、山崎賢人をむかえ、新城毅彦監督がメガホンを取った。原作は単行本全11巻。濃密な内容をいかに2時間で収めるか。映像化はどの作品も、原作のどの部分を抽出するか、どの部分を削ぎ落とすかという葛藤がつきまとう。
出版社で原作窓口の現場を担当していると、たくさんの映像化企画を目にする。映像化の提案が来ること自体は喜ばしい。だが、作品のテーマに大きな改変が出る企画には、大きな抵抗感を覚える。企画書の段階から物語のテーマを制作者がどうとらえて、どう表現したいのか、徹底的に聞き出す。契約書では「著作者に著作者人格権を行使させない」という契約文言を外させる。原作の出版社として、二次利用の窓口として、著作物を守る行為は重要な基本業務である。企画書をいただいた時点でプロデューサーにはこちらから口を酸っぱくああでもないこうでもないと質問を重ねる。にもかかわらず、いざ出てきたプロットを読むとガックリ…と肩を落とした経験は茶飯事だったりする。著作物を守るために、企画全体の座組を変えてしまうことも仕方なかったりするものだ。
シンプルに「原作を変えることは許さない」と言ってしまえれば楽である。ただ、異なるメディアで著作物を再構成していく作業において、残念ながら「すべて原作通り」になることはない。問題は、譲ってはいけないものが何か、である。物語のテーマや世界観、登場するキャラクターを崩さないために、変えてはならないところはどこか。著作権者、編集者と窓口となるライツ担当者が共通意識をもって映画制作にあたることができるのか。ここにズレが出てくると、原作と映画作品との乖離が大きくなる可能性が高くなってしまう。
『四月は君の嘘』はかなり制作サイドの要望に沿ったのではないか、という印象を覚えた。とはいえ、断言しておくが原作通りに作ることが正しい、というわけでもない。原作からテーマ性が変化してしまうと、原作ファンが「違う物語になった」と思ってしまう。原作の出版社としてこの点をリスクととらえるか、メリットとしてとらえるかの問題なのだ。どのターゲットを観客として狙うかのか、そのための要素を揃えられているか。結果、本作は14億円以上の興行収入を得ている。東宝の地力、強い。
個人的に本作は有馬公生の成長物語だと思っているので、もうちょっと彼の感情むき出しにしたキャラクターを見たかったなぁというのが正直なところ。なんて言いつつも、映画はとても爽やかに仕上がっているので、それはそれで完成されていて楽しめる。フジテレビ系列の名作を支えてきた吉俣良さんが音楽監督を手掛けただけあって、挟まるBGMも画面が引き立つ。高校生の爽やかな恋愛物語をご覧になりたい方は、ぜひお試しあれ。加えて、もしお時間があれば、原作のマンガもオススメでござる。