クソメンヘラ、付き合ってくれ、石左

・タイトルはこの記事からの引用。

 石左とは、2020年前後のインディーズバンドを語る上でどうしても欠かせない人間だと思っている。
 
 私が初めて彼の存在を知ったのは、大体3年ぐらい前、その時の自分は本当に最悪で、諦念と絶望の日々を生きていた。
もっと鮮明に言うと、死ぬ為、だけに毎日息を吸っていた。

 家からあまり出ず、暇と退屈と絶望をもて余していた自分にとって、一番そん時の性にあった娯楽が、インディーズバンド。
で、それと出会ったら自然な流れで石左の記事にたどり着いた。退屈をもて余していた自分にとって、彼の、暴力的で鋭いユーモアセンスで尖り散らかされている文章は、正直狂気的に面白かった。

 でも、自分が初めてベースメントタイムズ(石左がライターをやっていたサイト)に足を踏み入れた時はもう投稿が止まっていて、その人間は今別のところで生きているらしかった。

 べつのところと、言うのは、
STRESSCLUBっていうインターネットモラルはめ殺しdiscordサーバーと
JIGDRESSっていう今下北沢で一番殺意を持ってバカデカイ音を出し続けているバンド。

 これもまた当然な流れでそのdiscordサーバーにたどり着いた。

 その場所でイセノが人生相談をしていた、ので、私は「不安で毎日しんどいんです。」みたいな短め文章をお気楽な気持ちで送った。そしたら、一瞬こっちが引いてしまうぐらいの果てしない長い文章で返ってきた。

 持ち前の軽度愛着障害を発揮した自分はyoutubeに上がってるイセノのラジオ、都内音楽実情を聞き込んだ。その内容は、余りにも世間、人間を真正面から誰よりも誠実に捉えているものだと感じた。

 ここで、私が抱いた疑問がある、何故ベースメントタイムズの記事を消さないのか、ということ。

 でも、むしろそれを消さないことに彼の本質があると思った。

 この世には自分の間違いをなかったことにし、ましては忘却する人間が多すぎる。むしろそれが普通でそういう人間が大半を占めていると思う。

 でも、イセノは違うと思った。すべてただの憶測の話だけど、過去の自分の間違いと真剣に向き合って、それを認めたんだと思っている。記事が消されていないのはむしろその証明なのではないか、と思う。

 俺はもう無関心とかに取り憑かれて、たまに人の迫害とかをしたりする人間が大多数を占めているこの国、世界に生きるのがもう嫌になった。それが、その人間達が全く潔白なんかではなくて軽薄なことの、証明じゃないかって思う。

 それでも、まだ諦め切れてないのはこうやって多少無理をしてまでも誠実に傾倒してくれる大人がどこかにまだ少しいるからなんだと思う。

 生きろ。

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