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別れは必ず訪れる

最近いろいろと思い出した事をここに綴っておこうと思う。
日記をつけておけば良かったと思うのだが、そんなにまめではないのでどうしようもない。
だから今更感はあるがここに記す。
今日は仲の良かった友人の話。

私は22歳で手芸店に勤めはじめそこで出会った22歳年上のYさんと仲良くなった。東京の生まれで垢抜けていてファッションもつくる手芸作品もセンスが良くて憧れの存在だった。性格も優しくだいぶ年下の私と年齢関係なく仲良くしてくれた。お互いに手芸が好きだったので吉祥寺の生地屋さんや表参道のビーズ屋さんなど色々なところに一緒に出掛けた。出掛けたというか連れて行ってくれたという感じだ。たくさんの楽しいことを教えてくれた。
鎌倉の貸店舗で自分たちがつくった作品のお店屋さんを短期間でやったり、デザインフェスタなどのイベントに一緒に出店したり、小さい規模で互いに夢を叶えていた。
誕生日にはいつも素敵なものをプレゼントしてくれた。

30代のはじめごろ、私は手芸店を辞めて転職をした。
その頃Yさんは癌の闘病中だった。
私は転職したばかりで人間関係や仕事内容などに悩み軽く鬱になっていた。
自分のことで精一杯で周りのことなんて気にかける余裕はなかった。
癌で闘病中の友人Yさんに弱音を吐いてばかりいた。
今思うと本当に酷すぎる。
でも彼女は前向きに自分のできる範囲で仕事をしていて相変わらず素敵な作品をつくり、こんな私に優しい言葉をかけてくれた。
1年程経ち、私は転職した先の職場に耐えられず再び転職。手芸関係のスクールだ。そこではなんとか精神も持ち直して普通に働けており、彼女が好きそうな講座がたくさん載っているパンフレットを彼女のお家に届けたこともあった。見るだけでも楽しめるのではないかと思って。
だがその頃には彼女の様子は以前とは違っていた。
顔色は悪く玄関まで歩くのも精一杯。眼差しが弱々しく、その様子でなんとなく私は悟った。
以前の職場で一緒だった共通の友人に早く彼女に会いに行くように伝えた。
物事にいつかはなくて、今できることは今しないと。

それからしばらくして、
新しい職場でデスクワークをしていた夕方。別の知り合いから「Yさんが亡くなりました。」と連絡がきた。
その日は私の誕生日だった。
誕生日が近い高校の友人とご飯を食べながら小さくお祝いをする予定でいたが、それはキャンセル。
精一杯涙を堪えて残りの仕事を終わらせて、 Yさんの家族のご厚意で、仕事帰りのその足で彼女に会いに行くことができた。
言うまでもなくその日の夜は大号泣した。

彼女とのLINEのやり取りに残る「トラウべさんは私のソウルメイトだよ。」という最後の言葉。本当にそう思ってくれていたなら嬉しいけれど、これまでの彼女の優しさと情けない自分のたくさんの後悔が苦しい。

私は別れを知らなかった。だから人が死ぬことについて実感がなかった。でも別れというのは必ず訪れる。年齢も関係なく。
Yさんと別れて7年程経つ。
寂しさも時が癒してくれてなんとかやっている。
たくさんの優しい思い出と学びをいつまでも忘れずに、今できる事を積み重ねていく。

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