見出し画像

おばあちゃんのこと

敬老の日という事で
私のおばあちゃんとの思い出を綴っておこう。

母方の祖父母と父方の祖父は
早くに天国へ行ってしまったため
私は会ったことがない。
父方の祖母は93歳まで生きて大往生だった。

でも遠く離れて暮らしていたため、
実際に顔を合わせたのは数えるほど。
そもそもおばあちゃんは離れて暮らす孫がやって来るのを嫌がったらしい。
というのもお嫁さんの世話にはなりたくなかったようで。
負けず嫌いおばあちゃん。
孫が来たらお嫁さんに迷惑かけるものね…
そんな負けへんでマインドでずーっと体操を欠かさなかったり健康には気を付けていたからこその大往生。すごい。
…とにかくあまり会ったことがないおばあちゃんだった。

おばあちゃんとの数少ないエピソード。
父と私と姉の3人でお婆ちゃんの家に行った時のこと。
まだ幼稚園くらいだったのかな?小さい私はそのとき風邪をひいていたにも関わらず、孫の顔を見せたかった父は構わずおばあちゃん家に連れて行った。

もともと人見知りな性格なのもあって、いくら血のつながりがあるとはいえ、おばあちゃんに限らずあまり会ったことのない親戚に会うのは正直怖かった。

風邪をひいている私を連れてきたことにお婆ちゃんは怒っていたみたい。
そりゃそうだ。
大きな粒の風邪薬をオブラートに包んで飲ませてくれたけど、子供の私には大きすぎて飲めなくて、ペッとすぐに吐き出してしまったのを覚えている。
そして薬の代わりに『センブリ』という苦いお茶を飲まされた。笑
田舎のお婆ちゃんらしい。
今となってはそれも優しさだったのだとわかるけど、当時はおばあちゃんが怖い人としか思えなかった。
茨城の海のそばで暮らしており、方言も強く声も大きかったのでそれもあるのかな。

時は流れ
私が18か19歳で浪人生をしていたころ。
お婆ちゃんが我が家にやってきた。
白内障の手術をするのに田舎から出てきて少しの間、一緒に暮らしていた。
私は大学受験、姉は国家試験を受けるという時に。
なぜ今…と私は思ってしまった。
やる気のない浪人生のくせに。

おばあちゃんはよく近所の公園の木陰にあるベンチで体操をしたり寝転がったりして過ごしていたらしい。
ある日雨がポツポツ降ってきてしまって、家にいた私は急いでおばあちゃんに傘を届けに行った。
そうしたらベンチじゃなくて屋根がついてる遊具で雨宿りをしていて。
人見知りの私は傘を渡してさっさと帰ってきてしまった。
その後すぐにおばあちゃんは帰ってきた。
一緒に帰ろうっていう機転が効かないダメな私。

でもあとあと聞いた話では、私が傘を届けたことをおばあちゃんが喜んでくれていたみたい。
そんなちょっとしたことだけど、数少ないおばあちゃんとのエピソード。
私も嬉しかった。
もっとちゃんとできたらよかったね。

あーしとけばよかった。
こーしとけばよかった。
お別れしてから気付くことばかり。
またいつか会えるのかな。
会えない人ほど会いたくなる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?