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生きづらさを生きづらいままに書くこと
自分の生きづらさは、ほかの誰かもどこかで共感し得るものだと思ってる。私自身が、誰かの生きづらさを書いた文章を読んで共感しているから。
そうやってお互いに共感し合うことに特になんの意味も発展もない。ただお互いの生きづらさを確認するだけ。
私がここに生きづらさを書くことはときどき身近な人を傷つけ、プレッシャーを与えてしまう。具体的には、家族だ。親や兄弟、パートナー、私と親密に関わっている誰か。
彼は生きづらさを公言しているから、私が頑張らなきゃいけない。私は元気で健康だから、彼の代わりに働かなければならない。彼の生きづらさは、私たちが彼にしてきたことの誤った結果なのだろうか。今さら彼にできることはあるだろうか。周りの家族がそう思っているかどうかは分からない。言葉にしなくても心のどこかでつっかえているのは、自然なことだと思うし、それを咎められるはずもない。
実際に、ここに書いていることで、パートナーである妻には何度も困らせてきた。そりゃ困るだろう。ごめんなさい。
どうして、そんなに生きづらさを強調するのか。どれだけ、私は頑張っていると思っているのか。あなたの倍のお金を稼ぎ、家を支え、子どもの細やかなケアをしている(私いつも大ざっぱだから)。あなたがしてるのは、ただ短い時間働いて早く帰ってご飯を作ってるだけではないか。
そう思ってないかもしれないけれど、思われてもしかたないし、だから私はダメなんだと思う。
ときどき言わなければならないことがある。インターネットに書かれていることがすべてだとは限らないし、正しい答えが書いてあるとも限らない。私も気分次第で言うこともやることも全然変わるし、ここでの顔はただの一つの側面でしかない。仕事してるときのことは、ここには書いていないし、私のすべてを書くことはできない。
生きづらさを抱えながらも生活はなんとかやり過ごす。そうやって生きている人はいっぱいいて、私はその一人にすぎない。そういう一人のひとの「生きづらさ」という側面だけ照らしている。
だから、ここに書いてあることがすべてだとは思わないでほしい。そういう気持ちも抱えることもあるし、低空飛行なことが多くても、楽しい、おいしい、面白いと日々感じることはたくさんあるし、たくさんの人の優しさに恵まれている。
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