「自分の言葉」ってなんだろう
すごく大切なことを考えている素直な子だと思った。
この感覚は、たぶん誰もが経験したことがあるものだ。「自分の言葉」ってなんだろう?自分の表現ってなんだろう?
絵を描くとき、写真を撮るとき。あるいは音楽をつくるとき。
だれかの真似をして描く。同じ構図で撮る。同じ色味を出して、同じポーズを取る。聴きなれたメロディライン、わかりやすいコード進行を選ぶ。
そうすると、みんな「上手いね」と褒めてくれる。上手に絵が描けるようになった、写真が撮れるようになった、と錯覚する。
でもそれって、本当にわたしの描きたいものだったんだろうか、撮りたいものを撮れているんだろうか。そう振り返ってみると、本当は自分の表現じゃなくてただ借りてきたものだったのでは、と不安になる。
言葉も同じだ。本当に自分の気持ちを表す言葉が見つからなくて、あり合わせの言葉をつぎはぎして取り繕う。やっぱり、ぎこちなさが残る。うまく口から言葉が出ない。
本当に伝えたいことが、伝わらない。自分の言葉ってなんだろう。
そうやって、「自分の言葉」を探すときが必ずある。言葉は、なにかを表現する人じゃなくても使うものだから。
言葉は、感情の容れ物だ。
どんな容れ物にそれを注ぐのか、それを決めるための根拠は、ときにマナーや作法もあるし、センスもある。そうしたものも流行り廃りがあるし、正解なんてない。
大切なのは感情のほうだ。いまはちょっと合わない容れ物でも、きっといつかぴったりくる容れ物が見つかるはず。
だからこそ、そのとき感じたことをなんとなくでも書き留めておいて、大切にしてほしい。それは、借りてきた言葉でも構わない。
大切に覚えておくこと。
そしていつか「あぁ、これだったのか」と気づけたらすごくいいなと思う。
うまく答えられてるか分からないけれど、そんなふうに自分の言葉に出会えたらいいな。考えるきっかけをくれて、ありがとう。