お金とコミュニケーション
なにかを買うとき、できればそれを作った人から直接手渡しで買えたらいいな、と思っている。
たとえば、CD。どうせ買うなら、お店に並んでいるものではなくてその人やバンドのライブを聴きに行って、物販コーナーで直接演奏者から買うようにしていた。
基本的にあんまり頼まないのだけれど、親切にサインを書いてくれる人もいる。サインを書いてくれなくても、当然そこにはコミュニケーションが発生する。「演奏とてもよかったです」「とてもいい雰囲気の場所で、よく似合っていました」そして「ありがとう」という言葉をお互いに交わす。
翻って、インターネットの世界では、そうしたコミュニケーションは徹底的に簡略化されている。ほしいものがあれば、検索してボタンを押す。しばらくすると家に届く。コミュニケーションが「コスト」と捉えられてしまう世界だ。
いかに、効率よく便利に消費者に商品を届けられる仕組みを作るか。そうして発達していったのがEC業界だし、私もたくさんの商品をインターネットで購入している。
最近増えている、10YCやobjct.io、minimalといったD2Cのブランドなども同じ、インターネット販売だけれど、うまくやっているところはやはり「コミュニケーション」にこだわりを持っている。
自分たちの作ったものにどんな背景があって、だれが生産者としてかかわっていて、どんなコンセプトのものなのか、サイト上に徹底的に細かく記している。工場へのツアーを企画したり、メディアのようなきれいな写真でコンテンツを作り、オンラインでの接客や試着、返品対応なども手厚くする。
もし、そうしたコンテンツづくりを「コスト」と感じてしまうのなら、ちょっとインターネットの世界に毒されているような気がする。
そもそも、物の売り買いにコミュニケーションはつきものだ。八百屋や花屋で買ったって、そこに会話は発生する。「これ揚げ物にするとおいしいよ」「しばらくしたら、スワッグにして楽しめますよ」など、いろいろ教えてくれるし、お金のやりとりをする際には「まいどあり」だ。
原始的な「お金」の役割は、物の交換をするさいに、滑らかなコミュニケーションを可能にすることじゃないだろうか。何も作れない、何も持っていない私でも、たくさんの作り手、生産者とコミュニケーションができる。
だから、なるべくリアルに近い形で、その作り手が感じられるものを、感じられるやり方で、買えたらいいなと思う。