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3月10日#東京大空襲の日

私の母方の祖母は
・大正生まれ
・関東大震災を経験した
・東京大空襲も経験した

こどもの頃に聞いたこの3点を、私はずっと覚えていた。

ただ、具体的に「大正何年生まれなのか?」「空襲とは3月10日のことで良いのか?」などについて知ろうとはしなかった。

私が知っている母の実家は東京23区内だけど、3月10日の大空襲をうけた場所ではない。
しかも、伯父と母の話からどうやら祖父母は何回か引っ越しをしたようである。

だけど、母の実家近くの資料を探ると、その付近で壊滅的被害を受けた空襲があることを知った。

おぼろげな記憶ではあるが母が「おばあちゃんは空襲の時、火が燃えている方へ逃げたらしい。すごい勇気だよね」と話していたことも記憶している。


これは私の想像にすぎない。
だけど、3月10日の下町大空襲の際には燃えている中に飛び込むことはとてもじゃないけれどできなかったと思う。

だから、きっと祖母が経験した空襲は下町大空襲ではなかったのだろう。

でも、街が燃える中を必死に逃げ、生き延びてくれた。

私の母は戦後生まれだが、伯父は戦時中生まれ。
食糧事情も厳しかったからだろうか、伯父はとても小さかったらしく伯父よりも年上の知人にはずっと「じゃがいも」とからかわれていたらしい。

「じゃがいも」というのは祖母の腕の中にいた伯父の頭が小さかったことを指すようです。

きっと、その「じゃがいも」を腕に抱えて必死に空襲から生き延びてくれた。


そして戦後に母が生まれ、私が生まれた。


なぜ3月10日の「東京大空襲の日」にこの記事を書いたかと言うと

自分の命がつながっているのは、奇跡の積み重ねにすぎないから。


これは何も私に限ったことじゃありません。

戦時中は日本各地で空襲があり、その中で犠牲になられた方も大勢いらっしゃいます。

私たちの世代は、親も戦後生まれがほとんど。

祖父母たちが戦争を生き延びてくれたから親たちが生まれてこられた。


私の場合、母方の祖母が関東大震災と東京の空襲を生き延びた。

父方の祖母は東京から疎開をしていたから空襲被害を免れた。


私含め、今を生きているみなさんの命すべては、親や祖父母たちが戦争を生き延びてくれたから存在するものですよね。


世の中から戦争が無くなることは残念ながら難しい。

だけど、戦争をしないようにする努力はできる。


日本では戦争が終わってからすでに80年近く経っているため、今のこども達の祖父母の多くも戦争を体験していない。

私ももちろん戦争を体験していないから、話を聞いて、読んで、調べて想像することしかできないけれど、きっと現実は想像以上だろう。


戦争で犠牲になるのはいつも一般市民。

一般市民だからといって、感情がないわけではない。
一般市民だからといって、その人生を軽んじてよいわけではない。

戦争をあやつるあなたたちと同じように、その誕生を待ち望んで愛情をたくさんそそいで、成長を喜び、見守る親たちがいる。

多くの人が未来に希望を持って日々を生きている。


中には生きているのが辛くて、自死を選ぶ人だっているだろう。
残された人はつらい。
だけど、私は自死を選ぶ人を否定はしたくない。
生きる権利があるのと同じように、自分の命を止める権利だってあるべきだから。


でも、人の命を他人が奪うのは許せない。
その人の命はその人の所有物であり、命の期限を決めるのはその人本人でなくてはならない。


一方的に命を奪われるなんて理不尽すぎる。


私は戦争を体験していない。
ありがたくも平和な世の中を生きてきた。

だけど、この平和は当たり前のことではない。

戦争を体験していなくても、それは理解できる。


愛するこども達が戦争で傷つくのを見たくはないし、戦争をしかける側になっても欲しくない。

だから、私が知りうる限りの知識をもって、戦争をおこしてはいけないことを伝えていかないといけない。


あなた達の命があるのは、奇跡が積み重なったからなんだよ。


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