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高等教育無償化に思うこと

岸田政権になって、子育て世帯への給付金が配布される際に親の年収制限が設けられました。

連立政権内閣のため、公民党は「制限を設けずに」と主張し、自民党は「そうしたいのは山々だが、財源にも限りがある」となり、すり合わせの結果が年収制限を設けての配布になったそうです。

結果として18才以下の子どもの9割にあたる約1,800万人にのみ給付されましたが、残りの200万人の子どもの親は年収制限に引っかかり、給付金を受け取れていません。

努力した結果なのに、理不尽すぎる

年収制限でお子様が給付金配布対象外になった方たちの中には、すでに国や自治体からの様々な恩恵をあまり受けられていない方たちが多く含まれています。

この恩恵を受けられていない方たちは、「生活を良くするために」と人一倍努力し、今でも努力し続けている層です。

きりの良い数字で「年収1,000万円」。間違いなく高収入でしょう。

ですが、東京圏で年収1,000万円の場合、子供が2人いたら生活に余裕はない家庭が大多数のはず。

教育にお金をかけるために教育資金を一生懸命貯めている家庭が多いと推測します。

そうやって頑張っているのに、「年収が高いから」という理由で高校の授業料を補助してもらえず、全額自己負担になる。

かたや、努力をしなかったがゆえに年収が低いのに「年収が低いから」という理由で私立高校までも無料で通える家庭がある。

あまりにも理不尽だと思いませんか?

無償化のルールを改定すべき

高等教育を無償化するなら、親の年収制限は無しにして、公立校の一定レベル以上のみにすべきだと私は思います。

私立高校に行かせたいなら、親がきちんとお金を用意すべき。
残念ながら親が用意できない家庭の子なら、給付型奨学金を受けられる子のみが私立高校へ行けるようにして欲しい。

幼児教育無償化は絶対的に必要です。
物事に基礎が大切なのは人間も一緒だから、全ての子供が平等に幼児教育を受けられるべきです。

だけど、高校は義務教育ではありません。
そして、義務教育中に勉強の基礎固めができなかった子がその上の教育を受ける適性があるとは思えません。

その子自身が自発的に「やっぱり勉強は必要。もっと勉強したい」と思えるようになったら、補助を受けられるような制度を作れば良いのに。

「ただ」はどんどん人をダメにする

高校を無償化にしたことで「在籍だけしている状態」の生徒が増加しているそうです。

「ただ」はありがたい。
子供たちの医療費が無料だったことは、本当にありがたかったです。
だけど、「ただ」は受け取る側も供給側も共倒れになる可能性がとても高い。

特に受け取る側がしっかりしていないと、どんどんダメになります。

私が学生の時の経験から得た考え

学生時代のアルバイト先に、自費留学をしている友人がいました。
ある時に「大学で急に休講になることがあるでしょ?周りの友達(日本人)はすごく喜ぶんだけど、私は授業料がもったいないって思っちゃうんだ」と話すのを聞いて、ハッとしたことがありました。

私は親に学費を払ってもらっているから、授業によっては「つまらない」と感じて気もそぞろだったこともあるし、遅刻してしまったこともあるし、休講になって喜んだりしていたのか、と。

また、学科主任の教授が、私達がTOEICを受ける際に補助金を出してくれるよう働きかけてくれたことがありました。
ですが、私達の成績が芳しくないのがあまりに多く、二回目の補助は保留になりました。

その後、私達が全額自己負担で受けた試験の方が成績が良かったため、補助金を出してもらったのはその一回のみで終わりになりました。

この2つの出来事から、私は勉強は身銭を切らなければどんどん甘えて楽な方へ流れてしまう、と考えるようになりました。

自分で支払ってもサボってしまうこともある

社会人になってから資格取得のために通った学校は、税金から一部補助を受けられる制度が有ったので必死になりました。

ところが、趣味の延長で通っていた中国語の学校はそこまで必死ではなく、授業料をすでに一括払込していたにも関わらず、仕事を理由に休むこともありました。

これらの経験から、私は高校の完全無償化には反対です。

毎月数千円でも良いから、自己負担金を作るべき。
家庭の事情で払えないなら、支給型の奨学金を受け取れるように努力すべき、と思います。

その優しさは本当の優しさではない

「年収が低いから補助します」を続けていたら、「やってもらって当たり前」になり、居心地良すぎて抜け出そうと努力しなくなります。

受け取る側はこうやってダメになり、供給側は支援額がどんどん膨らんでいき、財源が底をついて共倒れになってしまう。

日本は資本主義だけど、累進課税で「稼げば稼ぐほど、取られる税金が高くなる」国です。

資本主義なのに、一億総中流。近い将来一億総貧困社会。

教育でも資産でも「出る杭は打たれる」。

裏を返せば【優しい社会】なんだと思います。
数字のみで評価せずに総合評価をしてくれる会社に、稼げない人ばかり助けようとしている政府。

社会の荒波に立ち向かえない私のような弱者には、ありがたい社会です。

「泥船」では将来は明るくならない

ですが、頑張った人が報われない社会に成長はありません。

頑張らない方が得をする社会は、泥舟です。
ただでさえ沈んでしまう泥舟に、どんどん人が乗り込んで来ているのが現状。

努力して結果を出せる人たちは、日本という国を見限っていきます。

その結果、国力が下がり日本を乗っ取られ、やり方についていけない日本人が街中にあふれます。

これは明るい将来ですか?

変えようとしなければ変わらない

日本はすでに10年以上給与水準が上がっていないのに、税金負担は増えるばかり。

生活がどんどん厳しくなっているのは確かです。

弱い人への補助は必要。
だけど、全てを助けてあげてはダメ。
自立できない人を量産してしまう。

努力して稼いでいる人を「年収が高いから」と切り捨てるのもダメ。
国を引っ張って行ってくれている人たちのやる気を削いでしまう。

今までのやり方にとらわれてはいけない

子供たちが自分の努力によって補助額が決まるようにしたら、どうだろう?
補助額が足りなくて、親から援助を受ける子が出てくるのは織り込み済み。
でも、これは一番平等じゃないかな?

自分で必要な補助額を調べる・自分で努力する。
そうやって自立する子どもが育っていく。

もちろん、進路変更だって可能だし、学びたいと思う時期が一律じゃなくたってかまわない。

そんな風に世の中が変わっていったら、日本はもっと良くなると思うのにな。

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