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祈りのために〜サン・マルコ修道院(予習)

前回投稿した[アカデミア美術館]のすぐ近くにあるのが[サンマルコ修道院]。

[サン・マルコ修道院]は、フラ・アンジェリコ(べアート・アンジェリコ)の『受胎告知』があるため、以前から “必ず訪問したいリスト” に入れています。

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キリスト教にとって特別な主題『受胎告知』は、これまでありとあらゆる画家によって描かれてきました。

『受胎告知』

(上)レオナルド・ダ・ヴィンチ、(下左)ボッティチェッリ、(下中)カルロ・クリヴェッリ、(下右)エル・グレコ・・・。大好きな作品が多いので、“受胎告知” をテーマにした記事を4年前に投稿しています。
(↓ お時間ない方は読まないでください。)

さらにその四ヶ月後には、フラ・アンジェリコが描いたルーヴル美術館の作品について投稿しています。
(↓ これまた長い記事なので、すっ飛ばしてください。)

聖書が読めずその物語を知らない人たちに、何が起こったのかを理解してもらい、それがどういう意味を持つのかを感じ信仰を深めてもらうための『受胎告知』作品は、
高貴に、
時には大袈裟に、
そしてドラマチックに・・・描かれています。
十人十色、百人百色の描写表現があるのです。

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しかしサン・マルコ修道院にフラ・アンジェリコが描いた『受胎告知』は違います。

ヴァザーリの『ルネサンス画人伝』によると、
サン・マルコ修道院に暮らすドミニコ会の敬虔な修道士天使のようなアンジェリコという愛称で呼ばれるフラ・アンジェリコは、

「自分のような仕事に従事するならば、静かな憂いのない生活を送るべきだとも、キリストにまつわる話を描くなら、いつもキリストの近くにいなくてはならないとも、繰り返し言っていた」

『ヴァザーリ ルネサンス画人伝』より

「画筆をとる前に必ず祈りの言葉を唱え」、
「キリストの処刑図を描くときは、涙がつねに彼の頬をぬらしていた」

『ヴァザーリ ルネサンス画人伝』より

といいます。

サン・マルコ修道院に暮らすフラ・アンジェリコは、階段を上り切った正面の壁に『受胎告知』を描きました。そこから先はドミニコ会の修道士のみが立ち入れる世界。つまり、物語の説明や鮮やかな色彩、気を引くための派手な演出は必要ないのです。

フラ・アンジェリコ『受胎告知』1440-1445年

ただただ 心安らかに深い祈りを捧げるための時間と場所。
画像で見るフレスコ画は、静寂の中に再現された一場面を新鮮にフレスコ表現しているため、いま、天使が出現して、この場所で受胎告知がなされているような神聖な気持ちになるのです。

ほら、目を閉じて耳をすませば聞こえてきます。

(大天使ガブリエル)
おめでとう、恵まれた方
主があなたと共におられる

(聖母マリア)
わたしは主のはしためです
お言葉どおり、この身に成りますように

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いかん、いかん。
まだ実際に訪れてもいないのに興奮状態になってきました。
特別な作品なので、現地で私自身がどう感じるかを楽しむためこれ以上は深入りしないことにします。

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サン・マルコ修道院についてだけ少し予習します。

もともとサン・マルコ信心会の礼拝堂が建てられていましたが、1427年にローマ法王の命令でドメニコ会士たちが移り住んできましたそうです。そしてメディチ家のコジモによって全面的な再建がなされ、現在ではフィレンツェで重要な建築物の一つになっているのですね。

ドミニコ会の創設者は聖ドミニクス。。。
おっ、国立西洋美術館・常設展にいるこのお方ですね⁈

フランシスコ・デ・スルバラン『聖ドミニクス』1626-27年

聖ドミニククスは、その生誕の時に生母が黒白班の犬が松明をくわえて現れる夢を見たといいます。そして苦行と清浄の象徴として黒のマントを羽織り、百合の枝を持ち、ロザリオによる祈祷を創始したそうです。
おおーーーっ。
この作品に題名がなくても、描かれているのは聖ドミニクスとわかります!。

他にもサン・マルコ美術館で注目したい作品に、フラ・アンジェリコ『最後の審判』があります。

フラ・アンジェリコの『最後の審判』1432-35年

作品の左部分には天国、そして右部分に広がるのは地獄絵図です。フラ・アンジェリコの描く地獄はどんなものでしょう。
そして注目は、作品上部に描かれた天上の世界。一堂に並ぶ聖人たちの左端(下の画像・赤矢印)が聖ドミニクスで、右端(下の画像・青矢印)が聖フランチェスカ(前回の投稿で登場)だそうです。

フラ・アンジェリコの『最後の審判』部分

確かに聖ドミニクスは黒衣百合の花を手にしており、聖フランチェスコは粗末な服に腰紐を巻いている(予習済み)ようです。
なるほど、なるほど。知れば知るほど面白くなりますね。

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そして忘れてはいけないのが、サン・マルコ修道院を拠点に活躍し歴史にその名を留めている、もう一人のドミニコ会の僧。
ジロラモ・サヴォナローラ(1452-1498年)です。

サヴォナローラは、サン・マルコの修道院長の職についたあとメディチ家の腐敗政治を批判し、人々の贅沢な暮らしを糾弾して神権政治を確立します。
一時はメディチ家を追放しフィレンツェの政治を掌握していたサヴォナローラでしたが、最後には反逆の罪で絞首刑・火刑に処されてしまうのです。

サヴォナローラに心酔し、彼の “虚飾の焼却” に同調して自らの作品をも焼き払ったと言われるのがサンドロ・ボッティチェッリ

サン・マルコ修道院にあるのは、『サヴォナローラの肖像』(画像・中)のみ

左)ボッティチェッリ『書物の聖母』1481-82年頃の作風
    ↓
中)『サヴォナローラの肖像』フラ・バルトロメオに浸透
    ↓
右)ボッティチェッリ『誹謗』1494-95年・・・固い!重い!

サヴォナローラから深い影響を受けたボッティチェッリの作風の変化については以前 note に投稿しました(涙。
サン・マルコ修道院ではサヴォナローラの部屋で肖像画と向き合い、しかと目に焼き付け、その気配を感じたいものです。

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サン・マルコ修道院には、大注目のドメニコ・ギルランダイオ『最後の晩餐』もあります(オニサンティ教会の予習で登場)。
思いつくまま書いていたら、話がとっ散らかってしまったのでこの辺にしておきます。

訪問できる日をただただ楽しみに待つばかりなのです。

<終わり>

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