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絵画鑑賞と蓮の花

職場の人が上野・不忍の池で撮影した蓮(はす)の写真を送ってくれました。 
なんと美しいのでしょう。なんと清々しいのでしょう。なんと神秘的なのでしょう。なんと…なんと…。
さまざまな感情が身体中に渦巻いてモヤモヤしているのですが、私はそれを的確に表現する言葉を持っていません。

たとえば、友人にこの蓮の花を見に行こうと誘うとき、
私 「不忍の池で蓮の花が綺麗に咲いてるの。だから行ってみよう!」
友人「どんな風に綺麗なの?」
私 「形も色も…とにかく…ものすごくキレイなの」。

その素晴らしさを相手にわかってもらうために声を張り、ジェスチャーや顔の表情などでカバーしてきた人生。小学生の頃から全く成長していないようです。

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自分が思い描く情景を形にする、自分の感情を表す、相手に何かを伝えるのが “芸術” だとしたら、絵を描く、音楽を奏でる、踊りを舞う、言葉を紡ぐ…など “芸術” に携わるには いろいろな方法があります。
私の場合 “芸術” とは言えないのですが、note にエッセイを投稿することが、今の自分を表現する最大の手段です。しかしその内容を見ると、語彙が乏しくて言葉を適切に使いこなすことができていないのが現状。情けない💦。

美術鑑賞も同じです。
西洋絵画鑑賞を始めたばかりの3−4年前は、作品を見て感銘を受けたとき
「わーーっ」「きゃーーーっ」「素敵✨」
と叫ぶことしかできませんでした。
私自身、作品のどこに どんな風に感動しているのか全くわかっていないため、誰かにその素晴らしさを伝えることなど到底できません。初期のnote記事を読み返してみると…お恥ずかしい限りです。

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自分の不甲斐なさを嘆いてばかりいても仕方ありません。
絵画作品から受けた 得も言われぬ感動を何とか理解しようと、また作品に対する自分なりの解釈を言葉にしようと、美術本や作品の解説文を読み漁っています。画家や作品について解説する文章の中で、全身にビビビッ⚡️と電気が走るようなフレーズを見つけたとき、言葉が全身に浸透して新たな世界が広がるような不思議な感覚になります。言葉によって感性は磨かれていくのですね。

とすれば、語彙が少ないために感情表現が単純な私は、感性がまだ未熟なだけ。
感情を表現する語彙を増やしていくことで、これからドンドン成長していけるのです。

感情を表現する語彙を増やす…。
たとえば「蓮の花の美しさに感動した」という状態も、
“全身が震えるほどの興奮”、
“小躍りしたくなる”、
“飛び上がってガッツポーズをする“、
“思わず大声を出す”、
“知らぬ間に温かい涙が頬をつたう”…。
自分の身体に起こる変化に例えるだけで自分の「感動」に幅があることに気が付かされます。まず自分の感情としっかり向き合うことが大切ですね。

また、「モノの名称」を知る必要もあります。絵画作品に描かれている対象物の名前やその意味を知らないと、話が前に進みませんから。
たとえば、「蓮(はす)」の名前について調べると(Wikipedia)、

日本での古名「はちす」は、花托の形状を蜂の巣に見立てたとするのが通説である。「はす」はその転訛。

とあります。
“あれっ、「花托」ってなんだ?” となる訳です。そこで花のつくりとその名前を調べて、“なるほど、この部分を花托(かたく)と呼ぶのね”、と。

そもそもの前提知識がないと、延々とネットサーフィンして、結局どこにも行き着けなくなってしまいます。
物事をあまり知らない私にはよくあることで、“書きたい” と思う題材は多いのですが、まとめ切れずに下書きに眠っている記事の多いこと!(笑)。

そもそもの前提知識 … そうか。
学校で言葉、数字、文化、歴史、地理、自然や世の中の仕組みを学ぶ目的は、自分という人間を表現する力を養い、感性を磨き、心豊かに生きていけるようにするためなのですね。
もっとしっかり学んでおくべきでした(涙)。まぁ、過去のことは仕方ない。これから研鑽を積むしかないのです。
大好きな “絵画鑑賞” に分野を絞ることで、小学校で学ぶような基礎知識でも真剣に勉強する意欲が湧き、学習方法の道筋も見えてくるのです。

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当面の目標は…。
絵画作品から受ける印象や驚き・発見そして感動を、幅広く 奥深い豊富なフレーズから自由に選択し、表現できるようにすること。それができるようになれば、紡ぎ出した言葉が感性を刺激し、さらに絵画作品を深く味わえるようになるはずですから。
そのためには、日々のnoteの投稿でもテキトーな言葉を使わずに、自分の気持ちや感情を丁寧に探り、それに適した言葉選びを心がけなくては…。
辞書やGoogle先生を駆使した地道な学習と、前向きなチャレンジあるのみ!

よしっ。

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友人「どんな風に綺麗なの?」

気品あふれるピンク色は匂いたつようで、その濃淡はまるで計算されたデザイン画のように美しいの。そして花びら(花弁)の細やかな筋は血液の流れのようで、この世に生きている喜びを感じさせてくれるはず。
花托(かたく)に開いた複数の穴は、仏さまがじっとこちらを見つめる瞳。温かく包み込んでくれるようで心が落ち着くわよ。
また、身体を軽々持ち上げてくれるほどの大きな葉は たおやかで、水や汚れを寄せ付けない自浄作用で私の気持ちまで清らかにしてくれそう。葉の裏側から空を見上げてみて!そこに力強い葉脈の存在があることがわかるはずだから。

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極楽浄土に迷い込んだ雀が、蓮の葉の上で羽を休め、天上に咲く神秘の花を見上げていたの。どこからか “花の命は短くて、この世は儚いのだけれど、どんな風に生きていくかをしっかり見極めなさい” と聞こえてくるようだったわ。

ちょっと、いっぱい いっぱいですね(笑)苦しいです。

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自分の知りうる言葉を何とかひねり出して選んでいると、いつの間にか、
脳裏にこの情景を描いた絵画が浮かび
どこからか緩やかな音楽が聞こえ
優雅な舞踏がイメージできました。
note投稿に真摯に取り組むことで、 “芸術” に携わるのも夢ではないかも知れません。

<終わり>

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