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<メトロポリタン美術館展>の「らしくない」作品・「らしい」作品

昨年12月に大阪まで足を運んで鑑賞してきた<メトロポリタン美術館展>。
開幕した東京展に行く前に、noteで 大阪展を振り返っています。
今回は【第二章】から
② 個人的にまだ距離を置いている(好きになれていない画家の作品です。

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まずは ヨハネス・フェルメール(1632-1675年)。
私がこれまでに観たフェルメール作品は 12点ほどでしょうか。
2018年上野の森美術館<フェルメール展>、ルーヴル美術館で観た2点、<ロンドン・ナショナル・ギャラリー展>、そして今回の作品。
実はわたし、世間の方々が大騒ぎするほどフェルメールの良さがわかっていません💦。

確かに、『牛乳を注ぐ女』(下の画像・左)の前に立ったときは、一瞬にして彼の描いた世界に引き込まれました。
穏やかな光が降り注ぐ静謐さの中に、女性が牛乳を注ぐという 日常のありふれた情景が描かれています。パンや陶磁器、布の質感に圧倒され、なんと言ってもウルトラマリン・ブルーの美しさ✨に酔いしれました。
カンヴァスの中に、これほどまでに荘厳で時間ときの止まった精神性溢れる空間を閉じ込めることができるんだぁ…と驚きました。他の風俗画とは一線を画する傑作でした。

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また、A4サイズにも満たない 小さな小さなカンヴァスに描かれた『レースを編む女』(上の画像・右)を観たときは、
糸の擦れる音と、柔らかく差し込む光が揺れる音だけが聞こえるような神聖な空間を覗き見した気持ちになりました。
これがフェルメールの魅力なんだなぁ…と、少しだけわかった気になりました。

さて、今回の来日作品『信仰の寓意』(1670-1672年頃)がこちら。

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この作品について、
「ちょっと異色でそれほど魅力を感じない」とか
「多くの寓意を持ち込みすぎて、フェルメール本来の魅力が薄れている」というお声を聞きます。
確かに、題名のとおり「信仰」を「寓意」するために、いろいろ描きこまれていますね。

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サンダルを履いた女性の足は地球儀の上に置かれ、カトリック教会が「世界」を広く支配することを表している、
床に描かれた「原罪」を表す青リンゴと、「教会」に押しつぶされて口から血を流す蛇が描かれている…。
テーブルの上に置かれたキリストの磔刑像の十字架、聖餐杯、ミサ典書…。

見る者を圧倒するような宗教的メッセージの暗示はフェルメールらしさを欠いており、画面に漂う冷静でよそよそしい雰囲気は、理知的な構想のもとに描かれていることをうかがわせる(図録より)

漂う空気感や空間をじっくり味わうという これまでの作品とは違う、フェルメール “らしくない” 一枚です。
しかし…。私はこの作品、大好きです(↓ 再度登場)。

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なんと言っても、散りばめられたウルトラマリン・ブルーの色が美しい✨。
クッション、カーテンや 女性の衣装に散りばめられた色の鮮やかさとその質感!。おっ、サンダルの紐も同じ色ですね(画像では伝わりません)。
また光の描写もいいですね。
天井から青い紐で吊るされた球体、そこに映る室内と窓からの光。
右のテーブルにあるキリストの磔刑像の十字架は光を受けて輝き、女性の瞳も憂いを帯びています(繰り返しますが、画像では伝わりません)。

そして、壁にかけられた画中画 ヨルダーンス『キリストの磔刑』(と思われる作品)は、単なるタペストリーではありません。そこに描かれている人々は、中央の女性と同じように頭をかしげ、天を仰ぐ仕草でシンクロしています。寓意化の登場人物となっているのですね。
この細かな描き込みと、全体の “見事な調和” がとても心地よい作品です。東京展でもしっかり観たいです。

フェルメールの画中画といえば…。
現在 東京都美術館にて開催中の<フェルメールと17世紀オランダ絵画展>には、
隠されていたキューピッドの画中画が修復によって復元された『窓辺で手紙を読む女』が来日しています。
世間では「修復しない方が良かった」という声が多いようですが、もしかしらたら私は、修復後の作品が好きかもしれません(笑)。
機会があれば対面したいものです。

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お次はレンブラント・ファン・レイン(1606-1669年)。
以前の投稿でも書きましたが、私にとってレンブラントは、直感的に “好きな” 作品と “あまり好きでない” 作品にはっきり分かれる画家です。

これまで観た中で 私のレンブラント・Best 作品は、ルーヴル美術館『バテシバ』(下の画像・左)。
暗がりの中で仄かな光を放つ女性の生々しい身体と物憂げな表情。部屋の奥に広がる深い暗闇に目を凝らしていると、そこに吸い込まれてしまいそうでした。さすが、‘光と影の探求者’ レンブラントです。
<ロンドン・ナショナル・ギャラリー展>に来日していた『自画像』(下の画像・右)には、「うんうん。この衣装とこのポーズ、これぞレンブラント。嫌いじゃないよ」と偉そうに話しかけました。

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さて今回の出展作品がこちら『フローラ』(1654年頃)。

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題名の「フローラ」とは、ローマ神話に登場する 春と花と豊穣を司る女神です。
女性の横顔には二重アゴのラインが描かれ、花をつかむ手を見ても 彼女は17世紀のオランダを生きる実在の女性(人間)です。
しかし、憂いを帯びた横顔はどこか神々しく、光を受けて輝く唇、瞳や真珠は神秘的です。
観ていると、暗がりにぼんやりと色を刺すだけの目立たない花びらから、ほのかに春の香りが漂ってきました。まさに春と花と豊穣の女神、フローラです!

布を重ねるように 色を塗り重ねた白い衣装が見事で、大阪展の会場で、何度も近づいたり離れたりしながら楽しんできましたよ(笑)。
時間をかけて観ればみるほど ドンドン惹き込まれる作品。展示室を出る頃にはとても印象に残る 好きな作品になっていました。

私が勝手にイメージする レンブラント “らしい” 作品を堪能してきました。

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こちらは、イギリスのジョシュア・レノルズ(1723-1792年)が描いた
『レディ・スミスと子どもたち』(1787年)。

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これまでもレノルズの描いた この上なく可愛らしい子ども達を見てきました。
今回も可愛い。。。レノルズの演出により、まるでオーディションを勝ち抜いたトップクラスの子役のようです(←例えが悪くてすみませんが、褒めています)。演出も含めてレノルズ “らしい” 作品なのかなぁ…と思いました。

しかし今回気になったのは、とてもファッショナブルで美しいと思えるレディ・スミス(左側から子ども達を見守る女性)の描き方です。
子ども達も、ところどころ粗く素早い筆遣いで描かれているのですが、レディ・スミスは、近づいて見るとその表情がほとんど描かれていない!(画像ではよくわからないのが残念)。
あれ?まだ未完成なのかしら?と素人は心配したりするのですが、

おそらくレディ・スミスの思いは、どこか別のところにあるのではないだろうか。というのも、彼女の表情は淡々としているからだ(図録より)

とありました。
彼女は、2ヶ月半の間に11回ポーズをとってモデルとなった(レノルズ自身の記述より)というのですから、これが完成作品なのでしょう。
そう言えば、展示室で遠くから離れて観たり、iPad上の画像で見ると「彼女の表情は淡々としている」と見えてくるから不思議です。

これまであまり興味を持っていなかったので、レノルズ “らしさ” の何たるかを理解していない未熟者。まだまだですなぁ…と独りごつのです。

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最後に、カラヴァッジョ(1571-1610年)。
個人的にまだ距離を置いている(好きになれていない)画家の筆頭がこの人、カラヴァッジョ。noteでもほとんど触れたことがありません。

私が知っているカラヴァッジョは…。
気性が荒く とてつもない変人。若い頃から暴力沙汰が絶えず、ついには殺人を犯し各地を転々とする逃亡生活を送った。
しかし、その画才は…。
みごとな描写力、大胆な表現力、独自の様式「光と闇」(一瞬の光をとらえて闇の中に対象を浮かび上がらせる)を確立して、人々に強烈な衝撃を与え、ヨーロッパ中の芸術家に影響を与えた画家。

しかし「作品」についてはまだ深入りしていません。

今回の出品作『音楽家たち』(1597年)がこちら。

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私が考える、「初期の」カラヴァッジョ “らしい” 作品です。

少年ではなく、「性」に目覚めた青年たちが 何やらあやしい雰囲気を醸し出しています。彼らに現実感はなく、まるで舞台で役柄を演じているよう。
その肌は滑らかすぎて人間ではなく人形や作り物のようです。
すみません。これ以上は…どんな風に観たら良いのか、まだよくわかっていないのです。

彼と関わるときは、生半可な気持ちではだめだ!、と勝手に思っているので、今回はこの辺で「ドロン」🥷させていただきます。

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作品を観るとき、先入観や決めつけは邪魔になることも多いのですが、
「らしくない」作品、「らしい」作品
と感じられること自体、自分の成長を実感できて少し嬉しいのであります。

<メトロポリタン美術館展>の振り返りは、もう少し続きます。

<終わり>

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