古本屋さんで見つけた1951-1954年の月刊誌『国際文化画報』。
特集記事【画壇の明星】で毎月一人ずつピックアップされる世界の巨匠たちは、70年前の日本でどのように紹介されていたのでしょうか。
今月は、1953年3月号です。
前回投稿した『画壇の明星(12)』は1952年7月号だったのですが、古本屋さんに在庫がなかったようで、7ヶ月分が手元にありません。残念ですがやむなし。
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今回の【内外 画壇の明星】はモーリス・ド・ヴラマンク。
実は、ヴラマンクとはご縁があります。
2017年9月。レンタカーで山梨に家族旅行したとき
「美術館が近くにあるらしいよ。時間があるから行ってみる?」
と軽い気持ちで訪れた山梨県立美術館。
その 4ヶ月前に絵画鑑賞に目覚めたばかりの私は、そこがジャン=フランソワ・ミレーの作品所蔵で有名な美術館であることも知らなかったので、えっ⁈ あの『落穂拾い』を描いたミレー の作品があるの?と驚いたものです。
そして「開催中のヴラマンク展も是非ご覧ください!」との声がけに、
「それって、有名な人ですか?」
「へぇ〜、まあまあ有名な人なんだったら 見ていきます」と。
恥ずかしい…。しかし、鑑賞できて本当によかったです。
その時の感想は、
好きなことをして人生楽しんで長生きした画家なんだ、
雪に覆われた村の厳しさと美しさを本当に知っている人だろうな、
この人の描く花の絵は好きかも・・・
といった程度でした。重ねてお恥ずかしい限りです。
それでも とても気になる画家・作品だったので、ヴラマンクという名前と【フォービスム】の名称だけはしっかり覚えておこう!と思ったのです。
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さて【内外 画壇の明星】の記事にはこうあります。
“なんとなく”って解説はいかがなものでしょうか。
“荒っぽい調子” ってどんな調子?。
“きわめて大ざっぱ” “感覚的” という言葉のチョイスはいかがなものかしら!
おそらく翻訳するときのニュアンスが難しいのでしょう。
そういえば、 <ロンドン・ナショナル・ギャラリー展>(2020年国立西洋美術館)を監修された川瀬先生が、ロンドン・ナショナル・ギャラリーの功績として、
フランス・イタリアといった “芸術先進国” に文化面で遅れを取っていたイギリス市民がゼロからつくった美術館であること、
そして美術を表現、評論するための「英語」が成熟することになった
というのをお話しされていたような気がします。
なるほど。
ちょうど今から70年前の本誌記事。美術を表現する「単語」や美術評論の「日本語」もまだまだ成熟していなかった時代ですから温かく見守りましょう。
“骨っぽい気質” という表現は見事ですよ、「頑張れーーっ!」。
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モーリス・ド・ヴラマンク(Maurice de Vlalminck)について調べようと、本棚を探してみました。
作品よりも、彼自身の言動、生き方に興味が湧きます。
面白い!
カッコいい!人間として無性に惹かれます。
そういえば、東京ステーションギャラリーで<佐伯祐三展 自画像としての風景>が開催中ですね。自分の自信作を見せるために会いに来た佐伯祐三に対して、ヴラマンクが
「このアカデミスムが!」
と怒号を浴びせたという話に、大いに納得するのでありました。
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いかん、いかん。
ヴラマンクの「作品」についてもっと知りたいのです。街中をウロウロ彷徨っていると、古本屋さんで2008年に開催された <没後50年 モーリス・ド・ヴラマンク展> の図録を発見!。タイムリー!と早速購入。
よしこれで・・・と表紙をめくると、そこに1957年80歳だったヴラマンクがアール誌に載せた「遺言」が載っていました。
いやぁ〜。素敵な「遺言」にすっかりこころ持っていかれました。
作品についての考察は次の機会に譲ることにして、今回はヴラマンクの「遺言」を全文引用して終わりたいと思います。
お時間がある方は、ぜひお読みくださいませ。
<終わり>