<メトロポリタン美術館展>大阪と東京
昨年12月 大阪まで観に行った<メトロポリタン美術館展>。ついに[東京展]を鑑賞してきました!
展示作品は全く同じなのですが、[大阪展]と[東京展]は展示方法も 私が受けた印象も 大きく異なっていました。
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[大阪展]=大阪市立美術館は いくつかの小部屋に分かれているため、一つの部屋を鑑賞し終えたら玄関ホールの横を通って次の部屋へ移動します。
1936(昭和36)年に開館した近代和風建築の大阪市立美術館ですが、玄関ホールのシャンデリアや大理石を使用した豪華な内装✨は、まるで外国の美術館を訪れているよう…、と思いながら、自然と “しらふ” の我に返り、 “現代のわたし“ が前の部屋で観た作品を噛み締めています。ちょっと時計を見て 帰りの新幹線までの時間を確認したり。。。
部屋の大きさが決まっているため、一つの部屋に展示できる作品数は限られています。既に設定されたスペースに どのように作品をレイアウトするのか、腕の見せ所です。作品ひとつ一つをじっくり鑑賞することができました。
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かたや[東京展]=国立新美術館は、大きな箱状態の展示会場。展示パネルを動かしてスペースの大きさや形、並べ方を自由に変えることができます。これが国立新美術館のいいところですね。
今回は作品数が65と少なかったこともあり、明確なコンセプトのもと、十分にスペースを利用した展示になっていました。
▷ 一つの空間で時代、地域、美術史の潮流を全身で体感することができる
▷ 特別扱いする作品、対比してほしい作品を明確に区別してレイアウトできる
▷ 展示を見終わるまで我を忘れて(笑)西洋絵画の世界に浸っていられる
いいですね、[東京展]。しっかりメッセージを受け取ってきました。
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帰宅して作品リストを見ていたら、リストの最後に会場の地図を発見!。記憶を頼りに展示作品(画家)の場所を書き入れてみました(笑)。
これ、[大阪展]を鑑賞した後に図録を読み込んで、65作品を頭に入れていたからできた技です。
今回は、この配置図を見ながら[東京展]を振り返りたいと思います。
ただし、思い出しながら配置を埋めたので 間違っているかも知れません。あくまでも個人的に楽しむためのツールです。皆様は信用しないでください!。
また、これから<メトロポリタン美術館展>に行く予定がある人には、バイアスのかからない自然体で鑑賞してほしいので、ここから先は復習用にご利用くださいませ。
*****【第1章 信仰とルネサンス】*****
青い壁の【ルネサンス】と、配置図・下部分の白い壁【北方ルネサンス】。
(先程の配置図に、入手可能な作品画像を貼り付けてみました💦)
[大阪展]のスタートは、ダーフィット『エジプトへの逃避途上の休息』が一枚だけ先出しされていましたが、[東京展]は一歩足を踏み入れたら、部屋全体に【ルネサンス】の世界が広がっていました。
最初に目に入ったのはフラ・アンジェリコ『キリストの磔刑』。一気に引き込まれました。ドキドキが止まりません。
入口から入って左右手前の6作品はテンペラ作品(番号1、2、3、8、4、7)。板+テンペラ、いいですねぇ。
左)ダーヴィット『エジプトへの逃避途上の休息』(投稿済み)
中)フラ・アンジェリコ『キリストの磔刑』
右)クリヴェッリ『聖母子』(投稿済み)
[大阪展]ではもう少し大きく感じた作品が、案外小さいことに驚きました。
図録や資料で復習しすぎた作品= 36.5 × 23.5 cm のクリヴェッリ『聖母子』は、私の頭の中ではもっと大きな作品に成長していました(笑)。
いやいや、展示スペースや展示方法も大いに影響しているはずです。
【ルネサンス】の奥にある小部屋に入ってみるとそこは【北方ルネサンス】、白い壁に囲まれているので、油彩の綺麗な色が映えますねぇ。
[大阪展]では、ヴェロネーゼの隣にエル・グレコ、その隣にクラーナハが並んでいたような記憶が…。そして【第1章】は全て青い壁だった気がします。イタリアと北方のルネサンスを明確に区別せず、別の狙いがあったのでしょう。
[東京展]は、
“ルネサンスから19世紀まで、西洋絵画史500年を彩った巨匠たちの名画が勢揃い” しているぞ!
というメッセージが、誰にでもダイレクトに伝わりやすい展示になっています。
【ルネサンス】の次に続く時代の架け橋は、エルグレコでありティツィアーノ。
両作品に挟まれた通路を通って【第2章】へ移動できるなんて、100点満点の展示なのではないでしょうか!(偉そうに言ってすみません)。
***【第2章 絶対主義と啓蒙主義の時代】***
赤い壁に囲まれたスペースに足を踏み入れると、そこはとてもドラマティック。
正面の舞台には、カラヴァッジョとラ・トゥールが並んでいます。贅沢✨。
これほどまでに「ジャーーーンっ!」と注目させるレイアウト、さすがです。
[東京展]では、鑑賞者が自らの足で西洋絵画史を歩んでいけることに加え、作品の「対比」が見事ですね。赤い部屋だけでも、
▷ カラヴァッジョとラ・トゥール(投稿済み)、
▷ ベラスケスと工房作(投稿済み)、
▷ プッサンとルーベンス、
▷ カニャッチとヴーエ。
左)グイド・カニャッチ『クレオパトラの死』(1645-55年頃)
右)シモン・ヴーエ『ギターを弾く女性』(1618年頃)
左)1601年イタリア生まれの【バロック】画家カニャッチが描くクレオパトラは、“気高い” というより “官能的”。自ら死を決意して まさに今決行しようとする彼女の白い肌は紅潮し、静脈の流れはスポットライトを受けて青く透き通っています。
右)一方のシモン・ヴーエは、1590年フランス生まれ。イタリア【バロック】をフランスに伝えたとも言われている画家です。暗闇の中でギターを爪弾く女性の右手がいいですね。小指の使い方が好きです。
“光の中の苦悩”、“暗闇の中の輝き”…。いいですね✨。
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赤い壁続きの奥スペースにはベラスケス。作品番号20『男性の肖像』は何度観ても痺れます(投稿済み)。
そして、正面ステージに飾られているのはルーベンス。
2018年に<ルーベンス展>で、また2019年に訪れたパリの美術館でも多くのルーベンス作品を鑑賞したのですが、今回ほどルーベンスの魅力を実感したことはありませんでした。
ペーテル・パウル・ルーベンス『聖家族と聖フランチェスコ、聖アンナ、幼い洗礼者聖ヨハネ』(1630年代初頭/中頃)
[東京展]のルーベンスは、
プッサン、ベラスケス、ムリーリョ…と、作品にもモデルにもそして自分自身にも真摯な姿勢で向き合う “真面目な” 作家に囲まれていました。その中で観るルーベンスは、全てが柔らかい!、その柔らかさが際立って、格別でした。流れるような構図、筆致、色遣いに脱帽です。
的確で素早い筆遣いによって傑作を生み出し、お互いに交流のあったルーベンスとベラスケス。私は これまで断然ベラスケス派だったのですが、今回の[東京展]でルーベンスの巨匠たる所以に大いに納得させられたのです。
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そういえば ティツィアーノやカラヴァッジョ、ラ・トゥール、ルーベンスは[大阪展]より大きく感じました。小さな作品は小さく、大きな作品はしっかり大きく感じさせてくれる展示。ふむふむ、です。
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赤い部屋の横のスペースは、ベージュの壁に囲まれた【オランダ絵画】です。
ライスダール、クラースで始まるこの空間に立つと、17世紀後半・オランダの繁栄と苦悩、新興国の勢いと市民の暮らしを肌で感じることができるような気がします。と偉そうに書きましたが、「何となく」です…。
文章で上手く表現できないのが悔しいのですが、フランスでもスペインでもイタリアでもなく、その空間は17世紀後半のオランダでした。
レンブラント、フェルメール作品については既に投稿済みなので 今回の投稿では割愛させていただきます。
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会場でしつこく(笑)レンブラントとフェルメールを鑑賞したので、そろそろ次の部屋へ移動します。
ピンク色の壁は、うわぁーーっ。【ロココ】ですね。
まだ苦手意識を持っている【ロココ絵画】ですが、グアルディで始まりシャルダン、ヴァトー と揃っているのがわたし好み。そしてフラゴナール、ブーシェをしっかり揃えたバランスの良い展示。二重マルです。
いつもは少し遠巻きに見ている【ロココ絵画】ですが[東京展]会場で近づいてじっくり鑑賞してきました。
素早くて荒い筆さばきは、まるで印象派を先取りしているかのようですね。
堅苦しくてずっしり重要感のある【バロック】からの反動で、時代が反対方向に大きく動きました。題材や筆も、そしてフランス国民の気持ちもダンスを踊っているようです。うんうん、いいかも知れません。
考えてみると【ロココ】のあとは また【新古典主義】によって大きく振り戻され…。
時代が振り子のように揺れ動いていくのを、[東京展]で身をもって体験できたのは大きな収穫でした。
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そんなことを考えながら歩みを進めると、水色の小さなスペースがありました。
【第2章】最後の二作品は、今回の来日作品で2人だけの女性画家、ヴィジェ・ル・ブランとマリー・ドニーズ・ヴィレールです。
左)エリザベート・ルイーズ・ヴィジェ・ル・ブラン(1755-1842年)
『ラ・シャトル伯爵夫人』(1789年)
右)マリー・ドニーズ・ヴィレール(1774-1821年)
『マリー・ジョセフィーヌ・シャルロット・デュ・ヴァル・ドーニュ』(1801年)
この2作品については もう少し調べたいので、別の機会に投稿します。
***【第3章 革命と人々のための芸術】***
いよいよ【第3章】に突入です!。
濃いグレーの壁に囲まれたスペースに足を踏み入れた途端、光と空気と時間までもが溶け込んだターナーの作品に出迎えられて、「新しい時代の到来だ!」と全身が震えました。
ウィリアム・ターナー『ヴェネツィア、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の前廊から望む』(1835年頃)
まぶしくも 優しい光に包まれて、涙ぐみそうになります。
そういえば、この感覚…。
2018年 大塚国際美術館で西洋美術史の流れに沿って歩んでいた時、目の前に現れた モネ『印象、日の出』に思わず息を呑んだときと同じです!。
[東京展]でまたあの感動を味わうことができました。
【第3章】の「対比」は何と言ってもこちら。
左)ギュスターヴ・クールベ『水浴する若い女性』(1866年)
右)ジャン=レオン・ジェローム『ピュグマリオンとガラテア』(1890年頃)
どちらも素敵な作品なのですが、私は断然クールベに一票。
ナポレオン三世が “理想とかけ離れた 醜い(?)裸体” に怒り、ムチをふるったと言われるこの作品の女性は、とても人間らしくて魅力的です。私が今まで観たクールベの中で一番気になる作品になりました。
そう感じたのは、理想的なプロポーションの女性の隣に並べて展示している効果かも知れません。
ティツィアーノ、ルーベンス、レンブラント、フェルメールそしてクールベといった美術史を変えてきた偉大な画家たち…。
「皆が巨匠というんだから、そりゃあ、巨匠なんでしょう」とこれまで受け身だった私ですが、今回の美術展でその画力にうなされ、やはりすごい!と痛感しました。
印象派の巨匠に関して、受け身ではなく一歩踏み出せたのがこちらのお二人。
左)エドゥーアール・マネ『剣を持つ少年』(1861年)
右)クロード・モネ『木馬に乗るジャン・モネ』(1872年)
左)ベラスケスなどスペイン絵画に大いに影響を受けている29歳のマネ、そして右)32歳のモネが描いた長男5歳のジャン。
“晩年の画家が自らの画風を確立し、伝えたいことを自在に表現した作品” も良いのですが、誰かを模倣しながら、自分自身の “何か” を探して必死にもがいている頃の作品、大好きです。
1872年のモネといえば、『印象、日の出』を完成させた年。モネは亡くなるまでこのジャンの肖像画を手元に残していたそうです。
どちらの作品もイイですね。やはり、「さすが」です。脱帽。
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<メトロポリタン美術館展>。
展示場所や展示方法によって同じ作品がどう見えるのか!を念頭に置いて12月に[大阪展]と4月[東京展]を鑑賞しました。
いやぁ〜、全く別の美術展を観た!と行っても過言ではないのです。
本当にいい経験をしました。幸せです✨。
ただ…。
3ヶ月半の間、自宅で図録や資料を片手に<メトロポリタン美術館展>のことを考えながら、これまで7つの記事を投稿しました。
[東京展]を鑑賞した翌日から、作品リストの配置に画家の名前を書き込み、iPadで作品の画像を貼り付けていたら「毎晩、何やってるの?」と旦那さんに指摘され、ハッ!と我に返りました。
いかんいかん。ちょっとマニアックに走り過ぎました(笑)。
純粋な素人目線を失わず、全身の感覚を研ぎ澄ませて鑑賞するのが当面の目標のはず。
“細かい部分的なこと”、“自己満足するだけの資料” に時間と労力を集中するのは本意ではありません。
おーーっ。時々 我に返らせてくれる旦那さんと[大阪展]に感謝!。
今回の経験を活かして、さらに精進して参ります!
<終わり>
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