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画壇の明星(21)・マンテーニャの世界

古本屋さんで見つけた1951-1954年の月刊誌『国際文化画報』。その特集記事【ルーヴル博物館案内】や【画壇の明星】についてシリーズで投稿しています。
美術界の巨匠たちは 70年前の日本でどのように紹介されているのか、そして70年前、日本という国はどんな様子だったのか・・・。
今回は1953年12月号を読みました。

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まずは特集【ルーヴル博物館案内】から。
ルーヴル美術館の所蔵作品をピックアップして、70年前の雑誌編集者が紹介する特集も5回目、今回 二つの作品が掲載されています。
おーーーっ!イタリア・ルネサンスの名画ですね。

国際文化画報1953年12月号の記事より
左)アンドレア・マンテーニャ『聖セバスティアヌス』(1480年頃)
右)サンドロ・ボッティチェッリ『聖母子と若い洗礼者聖ヨハネ』

ボッティチェッリについては、これまでも何度か記事にしているので、今回は(左)マンテーニャの作品を鑑賞したいと思います。

後ろ手に縛りつけられ 矢が刺さった男性を描いたこの題材=『聖セバスティアヌス(聖セバスチャン)』、これまでも美術本で見たことがあります。
聖セバスティアヌスとは、キリスト教の聖人。3世紀のローマ帝国でキリスト教を “弾圧” した皇帝の親衛隊士官を務めていたそうです。仲間に「キリスト信仰を捨てるくらいなら死を選ぶよう」と密かに説いたことが発覚して、皇帝から弓矢で処刑を命じられます。この作品でセバスティアヌスが天をあおぎ見ているのは、神に祈りを捧げている証なのですね。

聖セバスティアヌスの美しく仕上がった身体に何本もの矢が刺さっています。何本あるの? と美術本を開いて矢の数を数えていたら、
「急所に命中している矢は、見ているだけで痛くなる!」
と横から旦那さんが珍しく感想を述べました。確かに。

アンドレア・マンテーニャ『聖セバスティアヌス』(1480年頃)

右 太ももの表面を貫く矢、それに右腹部から筋肉を “なみ縫い” するような矢の描写も痛々しい・・・。
聖セバスティアヌスを表現しようとする画家たちは、
「体のどの部分に、どのように矢が刺さった表現をすれば “より痛ましい” か」を考え抜くのでしょうか。
と思っていたら、こんな文章を目にしました。

「イタリア・ルネサンスの画家や彫刻家によって、男性の裸体立像を表すための恰好の題材として利用されている

高階秀爾先生監修の『西洋美術解読事典』

なるほど、なるほど。
神話の女神たちを描くことで 女性の裸体を堂々と鑑賞したように、セバスティアヌスを寝室に飾ることもできた、というわけですね。
たしかに作者が、
「体のどの部分に、どのように矢が刺さった表現をすれば “よりそそられる” か」を考え抜いた、と思って鑑賞した方が納得できる作品も多くあります。

いずれも聖セバスティアヌスを表現した作品
左上)エル・グレコ、右上)ヘラルト・ファン・ホントホルスト(1623年)
右下)グイド・レーニ、右下)三島由紀夫(篠山紀信撮影)

そそられる” ことを意識した作品群でしょうか。
私が思春期に読んだ三島由紀夫『仮面の告白』の衝撃シーンに出てくる絵画 それが グイド・レーニの『聖セバスチャン』(画像・左下)だったのですね。そしてセバスティアヌス(=セバスチャン)になりきった三島由紀夫(画像・右下)・・・。怪しい世界です。
もし美術好きの友人宅を訪問して この作品が寝室に飾ってあったら、「あれっ?」と思うかも知れません(←深い意味はありませんのでご容赦ください)。

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さて、70年前の『国際文化画報』はマンテーニャの作品をどう解説しているのでしょうか。

矢を全身に刺され苦痛を堪えた青年の表情と、ただならぬ雲、殺人者の顔はつよい緊張を画面にただよわせています。

国際文化画報1953年12月号より
再登場!マンテーニャ『聖セバスティアヌス』(1480年頃)

当時の日本では、聖セバスティアヌスが如何いかなる人物なのか まだよく知られていなかったのですね。「青年」と「殺人者」という表現が面白いです。
しかし、主役のセバスティアヌス以外の「雲」や他の登場人物に言及したのは、良い着眼点かも知れません。

私もこの作品をしっかり鑑賞したいので、作者であるマンテーニャについて少し調べてみました。

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アンドレア・マンテーニャ(1431-1506年)はイタリアの画家。
レオナルド・ダ・ヴィンチが1452年に生まれているので、ひと世代前の、盛期ルネサンス時代の芸術家です。
北イタリアの小さな村に生まれたマンテーニャは10歳の頃に画家スクワルチョーネの養子となったというのですが、スクワルチョーネの養子には他にカルロ・クリヴェッリがいた!という記述がありました(1995年の雑誌『週刊グレート・アーティスト』)本当???。

カルロ・クリヴェッリの作品
左から『聖母子』1480年『聖エミディウスのいる受胎告知』1486年『聖アウグスティヌス』1487/88年頃『マグダラのマリア』1480年

二人が同じ人物の養子だとすれば二人は戸籍上の兄弟になる!!!???。
しかし この可能性に言及した資料は他にはなく、そもそもカルロ・クリヴェッリは謎に包まれた人物なので、この話は怪しいですね。カルロ・クリヴェッリは個人的に好きな画家なのでドキドキしましたが・・・一旦忘れます。

さてその後のマンテーニャ。
礼拝堂の壁画制作などで名を上げたマンテーニャに、ヴェネツィアの画家ヤコポ・ベリーニが「自分の娘(ニッコロシア・ベリーニ)との結婚を申し入れた」という記述を発見!
ヤコポ・ベリーニとは、【ヴェネツィア派】の創始者とも言われる「ベリーニ親子」の父親。息子にはジョヴァンニ・ベリーニがいます。
これは根拠のある確実な史実らしいので、マンテーニャはジョヴァンニ・ヴェリーニの義兄弟となったのです!

ジョヴァンニ・ベリーニの作品
左)『サン・ジョッペ祭壇画』1487年
右)『総督レオナルド・ロレダンの肖像』1501年

ジョヴァンニ・ベリーニ(1430-1516年)はかろうじて名前を知っている程度ですが、『総督レオナルド・ロレダンの肖像』(画像・右)はとても気になる作品だったので、二人の関係を聞いてまたドキドキしてきました(笑。
ベリーニ親子については、次の機会に資料を読んでしっかり勉強します。

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さてさて そういう訳で、1453年に結婚したマンテーニャはベリーニ家の多額の持参金を助けとして独立し、さらに活躍します。
マントヴァ侯から宮廷画家として招かれ、1460年マントヴァ(北イタリア)に活動拠点を移します。人文主義者 & 学者であったマントヴァ候は、マンテーニャの絵画の才能だけでなく古典文学や考古学に対する情熱も見抜いていたのだそうですよ。

「古典彫刻の気高さと理想的 “完全性” をインスピレーションの源泉としたマンテーニャは、古代世界に対する独自の考古学的なビジョンをつくりあげた」
「滅びゆく廃墟や古代ローマの壮大な建造物、そして古代ローマの彫刻や碑銘の破片が前景に散乱し、つる草がおおう。人物は古典彫刻の荘重な威厳と、静謐な確さをもって描かれている」
という記述を見つけました。
おおーーーっ、まさにこの作品もそうですね!

再・再登場!マンテーニャ『聖セバスティアヌス』(1480年頃)

背景の崖の上下に立つ廃墟のような古代建築物、セバスティアヌスが縛られている柱は古代様式の重厚さがあります。
それと対比されているのが、生身なまみの人間であるならば、セバティアヌスの美しい肉体、そこから流れ出る赤い血が、まるで現実のようにリアルに思えてきます。
画面左下に転がる彫刻の「足」が過去の石碑の破片であるのに対して、セバティアヌスの右足親指はわずかに天を向き、力強い生命力を感じるではありませんか!彼は生きています!

静謐な表現や、描かれた人物のクールな立ち振る舞いから熱い情熱を感じ取ることに喜びを感じる私にとって、この対比はたまりません!
殺伐とした風景の中、堅くて冷たい古代建築物や柱を背景に “凛” と立つ聖セバティアヌスを観ている方が、先ほどの “そそられる” ことを意識した作品より興奮するのは、私だけでしょうか?

左から)ボッティチェッリ(1474年)、ペルジーノ(1495年)、そしてマンテーニャ(1480年頃)

う〜む。美しい✨

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私が以前から知っていたマンテーニャの作品がこちら。

アンドレア・マンテーニャ『死せるキリスト』(1480年頃)

この極端な短縮法、好きです。
『聖セバティアヌス』と同じ頃に描かれたとされている作品ですが、こちらは非常に感情豊かに表現されています。
ひとたび画像を目にすると、単なる傍観者では居られなくなります。遺骸なきがらとなったキリストに一気に吸い寄せられて聖母マリアと共に悲しみの渦に惹き込まれてしまう力を持った作品です。
。。。私の拙い言葉ではお伝えしきれないので、ここは高階先生のお言葉を拝借しましょう。

透視図法に長けた博学の画家だったが、その作品における透視図法の活用がしばしば、画面に安定した整合的空間を形成するというよりも、むしろ意表を突く奇抜な効果を生み出している

高階秀爾先生『西洋美術史』より

マンテーニャが創り上げた独自の世界観が「意表を突く奇抜な効果」を生み出しているのですね。

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他にもまだまだ気になる作品があります。こちらはマントヴァ宮殿[結婚の間]の天井画です。

マンテーニャ『カメラ・デリ・スポージ』1474年

天井を見上げると円形窓がポッカリ開いて、青空と白い雲が見えます。そして窓のフチから我々を見下ろしている人たちがいるではないですか!。
天上の神々でしょうか、結婚するカップルを祝福してくれるのかもしれません。画像をピンチアウトして見ると、おおーっ!窓枠に立っているプット達はマンテーニャお得意の短縮法で描かれています。植物の入った桶が開口部のギリギリに置かれて危ない!今にも落ちてきそうです。
何だかクラクラしてきました。
この遊びごころあふれた作品は、バロック期のイタリアで流行するイリュージョニズム天井画の先駆的存在となったそうですよ!

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そして面白い情報も見つけました!
父親ヤコポ・ベリーニの描いたひとつの同じデッサンを元に、

ヤコポ・ベリーニ『ゲッセマネの祈り』

義息子マンテーニャと実の息子ジョヴァンニ・ベリーニが描いた作品があるのです。
イエスから「誘惑に負けずに起きて祈るように」と言われていた弟子ペテロ、ヤコブ、ヨハネの三人が眠り込んでしまう場面を描いた『ゲッセマネの祈り』。

左)アンドレア・マンテーニャ『ゲッセマネの祈り』1458年頃
右)ジョヴァンニ・ベリーニ『ゲッセマネの祈り』1460年頃

山の中腹に古代都市の城塞を描いているのがマンテーニャ(左)です、やはり。
ピンチアウトしてみると、画面左上にイエスを力づけたという天使を、そして画面右にイエスを捕らえようとするユダ率いる兵士の一団を描いています。おっ、道の上にウサギがいますね。面白いです。
細部まで驚くほど明快に描くことで独自の世界観を創り上げ、そして我々を感動させてくれるのがマンテーニャ。さすがです。

そんなマンテーニャに影響を受けた義兄弟ジョヴァンニ・ベリーニが描いた『ゲッセマネの祈り』(右)は、細かなデッサンにこだわらず、油彩の色合いや全体の統一感が意識されているようです。聖書の一場面を描いたというより、【風景画】のなかに聖書の物語を溶け込ませた・・・と言った方が良いのではないでしょうか。これ、1460年の作品ですよ。すごい!
夜明けの空が美しく、ほのかに大地を照らしています。そして赤い布の描き方はまさに【ヴェネツィア派】。ジョルジョーネ→ティツィアーノに受け継がれていくのですね。

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うわぁーーー。面白いですね。まだまだ見たい作品はあるのですが、永遠に記事が完成しそうにないので、本日はこの辺にしておきます。

15世紀後半に活躍した重要な画家
マントヴァのアンドレア・マンテーニャ
ヴェネツィアジョヴァンニ・べリーニ
そして二人が義理の兄弟であること、しっかりインプットしておきましょう!

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本題の【画壇の明星】、1953年12月号はミケランジェロです!
こちらは次回の投稿とさせていただきます。

<終わり>


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