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世界にはない、ディープな日本。
今、日本の喫茶店に魅了されている。
東京に住んでまだ3年とちょっと、日本の「ディープ」さをまだ掴みきれていない私ですが...喫茶店の持つ不思議な魅力に取り憑かれてしまった。
ニューヨークから東京に移り住んだ3年とちょっと前、はじめはブルックリンぽい空気が流れる、いわゆるサードウェーブなカフェにばかり通っていた。ウィリアムズバーグの街角に建ってそうな、真っ白な壁に大きな窓や鏡の、清潔感溢れる店員がフレンドリーに笑う、チョークのボードに手書きのメニューがドローイングされているようなカフェ。
Tokyo的ヒップスターが集まる場所。海外から遊びに来た人もホッとするような空間。
でもあるときから、飽きた。
なぜ海外から来た人がホッとするのか?それは、自分が(多分)経験したことのあるような空間だから。自国の都会にあるお店と近い気分でいられるから。
でも、近い気分でいたいのなら、わざわざ東京に来る必要がない。せっかく日本にいるのに、なぜNYやLA風の空気の中にいなければならないのか。カフェに行き続けているうち、疑問が生まれた。
20代前半から約30年、世界中を旅してきた映画監督が最近言っていた。
「いろいろな国を旅して思うことは、ニューヨークでも東京でもパリでも香港でも、大都会はみんな一緒だということ。誰もがスマホを見ながら街を歩いていて、風景はどこを見ても同じ。」
私は、東京の「別の顔」を見たいと強く思い始めた。元の顔、とでも言うのか?日本の血が流れる自分のルーツが少しでも感じられる場所。
そこで通い始めたのが、喫茶店。
はじめは、ごめんなさい、アメリカンな発想で、タバコの煙むくむくの場所に長くいられない、そう思っていた。
今でも、タバコの煙に囲まれていたい、と強く願っているわけではない。ふたつの喫茶店があって、ふたつとも歴史と雰囲気があって、ひとつが禁煙でひとつが喫煙だったら、迷わず禁煙に入るけども。
それ以上に、そのお店の持つストーリーとヒストリー、人間ドラマを感じたいという気持ちが勝ち始めた。
週に4〜5回喫茶店に入るようになって気づいたのは、私が惹かれる喫茶店には、美味しいコーヒーがあり、「言葉」があるということ。
マスターと客が交わす言葉、客同士が交わす言葉、その場で書かれる言葉、その後も語られる言葉。
2017年、言葉にまみれながらも「響く言葉」に飢えている私は、言葉のそばにいたいから喫茶店に行く。今、サードプレイスに求めるのは、トレンドでもなければ、wifiでもない。
自分の心に眠る「言葉」に出会いたい。
昨日はなんだか元気がなくて、渋谷で行われているファッションウィークの仕事が終わったら電車に飛び乗って西荻窪へ向かった。
なんだか心がソワソワする。考えることがありすぎて集中できない。頭の中を整理したい。そう思って西荻へ。
目指したのは、西荻窪駅から徒歩5分ほどの場所にある「物豆奇」(ものずき)。1975年の創業で、今なお愛され続ける名店だ。お店に入るとたまたま席が空いていて、角の席が確保できた。(その後、店内はいっぱいに。)
マスターにブレンドコーヒーを頼み、黒のモレスキンのノートを開き、壁中に掛けられている時計の音に耳を傾ける。久しぶりに聞く種類の音。
ペンを取り、ノートを開き、耳を澄ます。
今、頭の中のノイズを鎮めるには、昔から変わらずドラマを見守ってきた、どーんと構えた喫茶店が必要なようだ。
自分の器が小さくて溢れそうな時ほど、器の大きな喫茶店が。
日本にいる限り、喫茶店日記が続きそうです。
今日もおつきあいいただき、ありがとうございます。