オウム真理教の精神史を読んで

1995年、地下鉄サリン事件が起きた。
未曾有のテロ事件は日本中を震撼させた。

そんな事件を起こしたオウム真理教の思想史を体系的に理解する書籍を紹介したい。

まず、オウムはロマン主義的で全体主義的であり、原理主義的なカルトである。

ロマン主義とは「ほんとうの自分」を探すものだ。啓蒙の光によって見えなくなったものを探し出すものだ。

オウムでの「ほんとうの自分」はブラヴァツキ―の神智学から始まる。近代以前では葬儀の重要性がー-つまり、故人をしのび、死者と生者のつながりー-あったが、近代で死者と生者のつながりが消え、国家が死者の弔いをしない以上、個人の超越性が必要になった。

全体主義とは社会で孤立化した群衆をある世界観の中に閉じ込める者である。

近代は「自由・平等・博愛」の教条の下、人々を群衆化させて孤独化させた。そんな群衆があるカリスマの世界観に取り込まれることが全体主義である。その世界観の中で人々は自ら融解し、思考停止になるのだ。

原理主義は宗教の権威が凋落し、聖書が多くの人に読まれたから生まれたものである。

オウムに引き継がれた日本の原理主義は、竹内文書のような偽史的世界観からオカルトまである。

これらの価値観は全て近代から生まれたものだ。神や宗教などの権威を失い、人々は群衆化、孤立化(自由になった)していったため、「本当の自分」を探し、カリスマの世界観に取り込まれて、善悪二元論になっていく。

しかし、我々はオウム的な想像力と無関係ではいられない。

「ほんとうの自分」を探すのは自己啓発だし、カリスマの世界観に取り込まれることはオンラインセミナーであるし、善悪二元論は歴史修正主義的ともいえるだろう。

これらの価値観があるため、我々はオウム的な想像力とずっと付き合い続ける。



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