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『日本人と菩提心』菩提心は仏教用語でどんな人にも平等に備わる悟りを開こうとする心と説かれています。

菩提心ぼだいしんは仏教用語でどんな人にも平等に備わるさとりを開こうとする心とかれています。私の解釈かいしゃくでは、菩提心とは誰にでも平等に備わるたましいの本能だと思っています。

素直で穏やかな社会

日本人の魂には縄文人じょうもんじんの遺伝が色濃く遺されているのだろうと考えます。
日本人の挨拶に対する考え方や協調性、それ以外にも挙げればいくらでもあります。素直で穏やかな教育や社会制度の中で育まれれば、誰でもさとりというはなを咲かせて平等大地びょうどうだいちが生まれるのだろうと思います。

現代社会はそうした宝を、家庭教育という型にはめ、学校教育という型にはめてしまい、その結果社会では不条理が横行しています。

野球部員は悟りを求める魂

悟りを求めようとする魂を説明する時、頭に浮かぶのは野球部員です。野球の名門校には多くの部員がいます。レギュラーはとれないと解っていてもその環境で切磋琢磨せっさたくまして自分を磨きたいと、日々邁進まいしんする少年たち。親の強制で続くものではありません。これは野球に限らずいろいろな分野でありますが、そういう心のありようが悟りを求める魂と近しいと思います。

苦行から笑顔へ

最近私が嬉しく思うのはスポーツ選手の笑顔です。2000年頃を境にスポーツ選手が明るく笑顔いっぱいになりました。昔のスポーツ選手は苦行くぎょう集団のようでした。そして企業は忍耐力があり辛抱強しんぼうづよい学生を率先そっせんして採用しました。使い勝手が良いからです。しかしこれは社会の成長期の話です。

新しい時代を追及する時代がとっくに来ているのです。時代は変わったのです。

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