『未熟でない人と無防備な人』ここ20年でお客は変わりました。
ここ20年でお客は変わりました。サラリーマン、公務員、社長、建設業、タクシー運転手。多種多様な業界の人と接してきましたが、80年代90年代頃に比べて、自分から話しかけてみたいと思うお客は見かけなくなってしまいました。
かつて、新宿のゴールデン街や新宿二丁目、中野ブロードウェイなどを飲み歩いていた私は、そこで未熟でない人たち、つまり、変化する気配や目の色を窺い知ることができる人、術を知っている人のことですが、こういう人たちにいろいろな事を教えてもらいました。彼らは話も非常に面白かったものですから、私も気の合いそうなお客がいると喜んで話しかけていきました。しかし今は、馬鹿な話と馬鹿な笑いだけが飛び交い、そういう「未熟でない人」たちはほとんどいなくなりました。
何年か前に久しぶりに電車に乗りましたが、唖然としてしまいました。みんなスマホを見ている。下を向いている。スマホしか見ておらず、周りを見ていない。みんな無防備なのです。何かをやろうとしている人間にとっては格好の餌食です。20年前はそんなことありませんでした。電車に乗ったら周りを見渡して、やべえと思ったら車両を変える。それを今はやらない。これはどうかしていると心底思いました。電車に乗っている時も、道を歩いていている時も、相手の顔を見て気配を窺うことはそんなに難しいことではないし、むしろ訓練してでもやるべきです。そうしないといきなり包丁で襲い掛かられたり、ガソリンをまかれたりすることになります。
人を殺して自分も自殺したいという輩が世間にはいますが、そういう人にとって今の世の中は標的が簡単に見つかるのです。京都アニメーションや北新地での放火殺人事件、電車での傷害事件のような犯罪が起きるのも、いまの人が無防備だからです。無防備とは、私からすると馬鹿になっていることなのです。京アニの事件が報道されていた頃、以前から犯人とトラブルがあったという話が報道されました。警察に相談してもことが起こらなければ何もしないのが警察です。せめて警備会社と1か月だけでも契約してガードマンをつけておけば狂人の突発性を防ぐ一助となったかもしれない、と思ったものです。
初台に店を構えていた頃、店に来るお客の中にはおかしなやつもいましたが、こいつは脅かせば大丈夫、こいつは話してあげれば大丈夫、こいつは追い出さないとならん、と自然と選別ができました。酒乱、喧嘩をしそうなお客は気配でわかるので、始まる前に止めないと意味がないことはわかっていましたので、お客さん今日はもうこれでお勘定しておくね、お客さん今日はもう店じまいなんだ、と言って難を逃れていました。そしてそのお客が次に行った店がだいたい被害を被るのでありました。
人の顔や気配を読んで窺うこと、これを私は気の雲と言いますが、それがものすごく重要だということを小さい頃から自然と知っていた私からすると、それができない、気配が読めない現代の人々はなんと無防備で馬鹿なのかとつくづく思うのであります。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?