一緒にご飯を食べられる人がそばにいるって、いいもんでしょ?
移動の道すがら、コンビニで買ったおにぎりを詰め込み
ラジオをながら聞きして、無心で過ごしてる。
食事というものは、生きるために必要不可欠である。
いつからか、生きぬくために食事をしている時間が増えている気がする。
僕らが育った、小学生の時には、
机をくっつけて、みんなで給食を食べる。
誰がにんじんが嫌いだの
魚が嫌いだ食べてくれーだの。
はたまた、年頃になると
好きな子の前でガツガツ食べるのが恥ずかしくて
見ないでほしかったり、、、
そんな食事のシーンは
ただ生き抜くためだけの食事じゃなく
そこには、食欲を満たす以上の何かがある。
「 昼休み何するー?? 」
「 帰りに〇〇行こー!」
そんなドキドキやワクワクを兼ね備えていた。
さてさて、現代に戻ってきていただこう。
小学生や中学生の頃のようにはいかない。
営業職の皆様は、僕のように
移動の道すがら食事をしなければいけなかったり、ゆっくりしていられないよ。
なんて言ったところであろう。
"もっと食事の時間をゆっくり誰かと過ごそうよ"
社会のシステムを変えることなんて
僕一人が唱えたところで、叶うはずもない。
だがしかし、選挙と同じなのかもしれない。
僕の1票なんて。そう思ってしまうけれど。
誰かの意思が誰かに伝わるだけで
何かが変わる可能性だって秘めている。
おっと
なんだか脱線した気がするから、一旦、戻ろう。
結局、毎食誰かと食卓を囲むことは難しいけれど
いざ食卓を囲んだ時の時間というものは、きっと素晴らしい。
だから、なんだと言われたら
コーヒー屋のカウンターはきっとそんな時間の擬似体験ができる
素敵な空間なのかもしれない。
「ついに、彼女ができました!!」
「 昨日こんなことがあってさ、、」
なんて、誰かと話したいときはいつでもおいでよ。
コーヒー屋の価値は、美味しいコーヒーだけじゃないはずだぜ!!
じゃなきゃ、コーヒー屋なんていらないし
全自動のマシンでいいんだから。
コーヒー屋の魅力は、人工知能やロボットなんかじゃ
引き出せない人間味にあるんだろ。
今時、流行りの
AIに言ったって響かないだろうが
「一緒にご飯食べられる人がそばにいるって、いいもんでしょ?」
さてと、友人誘って、飯でも行くかな。