イヴの時間 感想

Ⅰ. 視聴動機

以前に一度観たことがあったのですが、「雰囲気いいな」以外の感想が薄れていたため視聴。また、社会派アニメブームが訪れていたことも動機の一つ。

Ⅱ. あらすじ

未来、たぶん日本。
ロボットが実用化されて久しく、
人間型ロボットが実用化されて間もない時代。
ロボット倫理委員会の影響で、人々はそれを“家電”として扱うことが社会常識となっていた。頭上にあるリング以外は人間とまったく変わらない外見に影響され、必要以上にアンドロイドに入れ込む人々は“ドリ系”と呼ばれ社会問題とされるほどである。

高校生のリクオも幼少の頃からの教育によってアンドロイドを人間視することはなく、便利な道具として利用していた。ある時リクオは、自家用アンドロイドのサミィの行動記憶の中に奇妙な言葉が含まれている事に気づく。

親友のマサキとともにサミィの足跡をたどると、そこには「人間とロボットを区別しない」というルールを掲げた奇妙な店が広がっていた…。

引用: http://studio-rikka.com/timeofeve/

Ⅲ. 私見

1.人間とロボットの境界線

作中で外見も中身も人間と区別のつかない二体のアンドロイドが互いに恋をしている描写があります。そこから考える人間とロボットの区別・境界線をどこに引くかという問題。

今の社会、多くの人はロボット・AIを『道具』としてみなしていると思います。私もそうです。

人間型ロボットではないですが、昔に『AIBO』という犬型のペットロボットが販売されていました。
そのAIBOが壊れてしまった際、飼い主が涙を流したという話を聞いたことがあります。ロボットという垣根を超え、ペットと飼い主として絆を感じることのできるパートナーになっていたのだと思います。
また、あるお寺ではAIBOの葬式を執り行ったなど。

これらの事例から考えられるのは、人間は感情をもってロボットと接することのできる生き物だということ。ロボットとはいえど、形が異なればそれに愛着を抱けるのだと。

2.ロボット・AIに対する恐怖

将来的に人と区別のつかないロボットが出てくると思うと、少なからず恐怖を抱くことがあります。私的には主に二つの理由から。

一つ目は、無機質なものに人生を委ねることになるから。
人間の感情はデータでは測れないものだと思います。結局、人間の繊細な感情、思考を理解できるのは人間だけである。確かに機械学習を施せば多少なりともロボットにも理解は可能なのかもしれませんが。それでも、ロボットである以上無機質な存在であることに変わりはありません。

話が少し脱線しますが、スマートフォンやカーナビといった電子デバイスレベルでは、既に身体の一部となっているのに恐怖は感じない。やはり『人型』という点に問題があるのだと思います。

二つ目としては、完璧すぎる存在だから。
人間は不完全な生き物です。砕いていえば無駄なことをすれば失敗もする。一方のAIは効率化され無駄を限りなく排除された存在。そうなると、人間の尊厳が失われることにも繋がりかねません。また、AI技術の台頭により将来的に49%の仕事がAIに取って代わると言われているのも事実です。
この社会においての人間の存在理由とは一体何なのでしょうか。

AI社会の当事者としてもう少し考えてみたいと思います。

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