学資金・所得区分・必要経費該当性〜大阪高判令和5年7月26日の検討〜
はじめに
司法修習生が国庫から受ける修習給付金(裁判所法67条の2)の課税上の取扱いについては、国税不服審判所令和3年3月24日裁決(以下「本件裁決」)が納税者の主張を斥けた後、大阪地裁・大阪高裁にて争われていました。
当該事案は、令和4年に第一審判決(納税者敗訴。以下「本件第1審判決」。余談ですが裁判長はヤフー事件の調査官です。)、昨年7月、控訴棄却判決(以下「本判決」)が出されていましたが、昨年12月に上告不受理決定により納税者敗訴の大阪高裁判決が確定するに至りました。
本件は、一見すると修習給付金という極めて特殊な金銭給付の課税上の取扱いが争われたケースです。しかし、私が本件裁決の時から本件に着目するのは、2つの理由によります。第一に、本件は、学資金該当性が争われるという極めて珍しいケースであることです。詳細は後述しますが、本判決は、学資金非課税規定(所得税法9条1項15号)に関する判断が示された裁判例としては2件目、高裁裁判例としては初めてのものであり、今後の実務を見据えた場合にリーディングケースとなる可能性があると思われます。第二に、本件は、所得区分と必要経費該当性という所得税法における大きな論点について興味深い論点を含んでいるように思われます(個人的には司法試験・租税法の題材にしても良いのではないかと思います)。
そこで、本稿では、本判決の判示を紹介し、その判断内容を題材として、学資金非課税規程に関する解釈論、所得区分と必要経費該当性の関係性という個人所得税での論点を検討します。
なお、本稿は、プレプリント的なものとして公開していますので、今後、追記・修正を行う可能性があります。また、吉沢健太郎「裁判所法67条の2第1項に基づく修習給付金の課税上の取扱いについて―国税不服審判所裁決令和3年3月24日の検討―」東京大学法科大学院ローレビュー17巻80頁(2022)を前提として書いています。
事案の概要
事案は概ね以下のようなものです。
本件第1審判決・本判決はともに、原告の請求を棄却しました。なお、本判決は、本件第1審判決の理由の差し替えを実質的に行っていません。
判旨
1 争点1(学資金該当性)について
【解釈に当たってのスタンス】
【学資金の意義】
【該当性の判断手法】
【基本給付金の性質】
2 争点2について(必要経費該当性)
検討① 学資金該当性
(1) 学資金非課税規定をめぐるこれまでの動向
所得税法9条1項15号は、「学資に充てるため給付される金品」(以下「学資金」)には所得税を課さない旨を規定するものであり、その歴史は明治32年の所得税法改正時にまで遡ります。約100年以上にわたる長い歴史とは対照的に、この規定に関して争われた例はかなり少なく、戦後に限っていえば、最高裁判例は存在しません。
下級審裁判例は、かろうじて2件存在しますが、いずれも学資金の意義を正面から判示したものではありません。このように、裁判例が少ない現状では、国税当局の公表している見解や運用が実務上のルールとなっています。
かつて、国税庁は、学資金の意義について「学術又は技芸を習得するための資金として父兄その他の者から受けるものであって、かつ、その目的のために充てられるもの」との見解(以下「昭和26年通達」)を示していました(現在の所得税基本通達では記載なし)。実務上もこれに依拠していると思われ、本件における国側の主張もこれに依拠しているようです。
国税庁の示した見解については以下のことが指摘することができます。
第一に、昭和26年通達は今なお課税実務では活きています。ある質疑応答事例では「学資金とは、一般に、学術又は技芸を習得するための資金として父兄その他の者から受けるもので、かつ、その目的に使用されるものをいうものとされ〔る〕」としています。
第二に、学術の「研究」と「習得」は区別され、学資金に研究費は含まれません。第三に、学資金には学費・授業料その他の教育を受ける対価のみならず、下宿代や教科書代、通学費用等の修学のための諸経費も含まれるとされます。
第四に、給付の対象となる活動は厳密な意味での学問それ自体に限られるわけではな く、技芸ともいうべき領域に対する給付も認められています。
(2) 意思解釈アプローチの採用
本判決は、学資金の意義について、その言葉の通常の意味に基づいた解釈として、「学校等の教育機関において学術等の教育・指導を受けるために必要な費用に充てるために給付される金員」との定式を示すとともに、昭和26年通達を是認した。その上で、本判決は、学資金該当性の判断基準として、当事者間の意思解釈に着目するアプローチ(以下「意思解釈アプローチ」という。)を採用した。このアプローチの根拠は、学資に充てる「ために」支給される金品という文言から導くことができることになるでしょうか。
次に、意思解釈アプローチの内容をみると、①基本給付金の根拠規定の文言等、②基本給付金制度の導入目的等、③金額決定に際しての考慮事情等を考慮しています。使途を限定せずに支給されるものであること、法曹人材確保の充実強化の強化を図るという政策目的に基づくものであること(②)を指摘して、司法修習における教育・指導を受けるために必要な費用を充てるために支給されるものとはいえないとの結論を得ています。なお、「司法修習は「学問」に当たらない」 といった議論はしていません。上記定式でも考慮されているように思われますが、学資金該当性の判断にあたり、教育指導を行う機関が、いわゆる学校(例えば学校教育法に規定する教育機関)であることを要するわけではないようです。
本判決で興味深いのは、原告の主張を斥けるにあたり、「給付が教育・指導を受ける対価(学資・学費の中核的な部分)の負担を負うかどうか」という点に着目している点です。次の判示をみてみましょう。
本件裁決の際には、授業料が免除されている学生への給付型奨学金との事案の区別が必ずしも明らかではありませんでしたが、本判決では「学資・学費の中核的な部分」というキーワードを梃子にクリアになりました。この判決を踏まえると、授業料負担なき者への生活費補助は学資金非課税規定の射程外となる可能性があるように思われ、注意が必要です。
検討② 所得区分
(1) 一時所得か、雑所得か
本判決では明示的には論点とされていませんが、隠れた問題として所得区分の問題があります。というのも、基本給付金が雑所得であるというためには、乗り越えるべき論点がいくつかあるように思われるからです。
まず、基本給付金が給与所得に該当しないことは過去の最高裁判例(最判昭和 42 年4月28日民集21巻3号759頁)を踏まえればかなり難しく(もっとも、旧給費制時との取扱いの差異をどのように説明するかとの問題は残ります。行政先例法?)、一時所得か雑所得のいずれかになると思われます。
一時所得の要件は、以下の3つです。
①一時・雑以外の所得に区分されないこと(除外要件)
②「営利を目的とする継続的行為から生じた所得以外の一時の所得」であること(非継続要件)
③「労務その他の役務又は資産の譲渡の対価としての性質を有しない」こと(対価性要件)
(2) 本判決の興味深い判示
この点、本判決は、次のような判示をしています。非継続要件の「営利」の意義をさらっと述べています。
素直に読むと、基本給付金は非継続要件を満たしそうです。仮に非継続要件から雑所得の結論を得るには、基本給付金が「一時の所得」に当たらないと主張することになりそうですが、外れ馬券事件(最判平成27年3月10日 刑集69巻2号434頁)以降の裁判例を概観するに、「一時の所得」を決め手にして非継続要件該当性を否定する裁判例はないように思います(前掲・吉沢92-93頁)。
では、対価性要件はどうでしょう。「司法修習生は、法曹資格を得るために無償で提供される司法修習に従事するのであって、基本給付金の支給を受けるために司法修習に従事するものではない」のであれば、対価性要件も満たしそうです。
基本給付金を雑所得に区分するのであれば、「対価」ではなく「対価としての性質」とされていることを踏まえ、対価性要件を緩やかに解する立場に立たざるを得ないように思います。
検討③ 必要経費控除の可否
(1) 司法修習は「所得を生ずべき業務」には該当しない?
本判決は、結論として「所得を生ずべき業務」に該当しないとしています。
「所得を生ずべき業務」に当たるか否かという点は必要経費算入の可否の分水嶺としてこれまでも用いられてきました。
(2) 政治献金との比較
前掲吉沢・98-100頁は、政治献金と裁判員に支給される旅費等の2つとの比較を通じて、司法修習が「所得を生ずべき業務」に該当せず、基本給付金にかかる必要経費控除が認められないとの見解に疑問を示しています。
上記論文の公表後の興味深いアップデートとして、近時の政治情勢の中、国会答弁等を通じて、政治献金に関する国税庁の見解が公表されるようになってきたことが挙げられます。
政治献金(政治団体ではなく政治家個人が受領するもの)については、雑所得に区分され、政治活動に要した費用を必要経費として控除できるというのが国税庁の見解です。
以上は過去の裁判例(東京地判平成8年3月29日税資217 号1258 頁)も踏まえたものと思われるのですが、国税庁は次のようにも述べています。
上記は確定申告における収支内訳書の提出義務に関する答弁であり、ここでいう「業務」とは所得税法120条6項にいう「雑所得を生ずべき業務」をいうと思われます。
ここで私が困惑するのは、雑所得のうち必要経費の控除が認められるのは「業務に係る雑所得」に限られる点と整合するのかという点です。
「政治献金(政治活動)や裁判員旅費(裁判員としての義務の履行)は必要経費控除が認められるのに、基本給付金(司法修習)はどうして認められないのか」という点が、前掲吉沢・98-100頁の指摘した問題でした。
このうち政治献金に関して国税庁が「業務に係る雑所得」に当たらないと答弁してしまったことは、これらの役務に関する所得の取扱いを整合的に説明することを一層難しくしてしまったと思われます。上記答弁が言い間違えであればそれはそれでよいのですが、この答弁を前提とする限り、「業務に係る雑所得」でなくとも必要経費控除が可能である例を認めてしまったことになるからです。
最後に
前掲吉沢の後日談のような形になりましたが、この事件は非常に興味深い論点を含んでいるように思います。
(個人)所得税の所得区分・必要経費に関する規定の密度が著しく低い以上、解釈論によりこれを補充する必要性は高いように思います。
所得区分や必要経費は「決め」の問題であって理論的に考えることにどれほどの意味があるのかとの意見もありましょうが、突き詰めて考えてみるのも面白いのではないかと思います((司法試験受験生だった私の個人的な気持ちでしかありませんが)これらの点が司法試験・租税法で出題されているのに、理屈などどうでもいいのだとは決して言えないと思っています。)。