『妙法蓮華経並開結』新版
『妙法蓮華経並開結』新版が出版され、まずは、自我偈の部分を読んでみました。本の読み方ですが、その本の一番重要なところから読むのもひとつの読み方と思われます。もちろん、無量義経から読んでも良いのですが、
とあるように無量義経は偽経ですから、後回しでもいいと思います。
まずは、その書の勘所となるところを把握し、その後、全体を把握するのがよいでしょう。大事なところを押さえた上で、それから、『妙法蓮華経並開結』でいえば無量義経から読むのも筋の通った読み方と思われます。
『妙法蓮華経並開結』新版の内容は、旧版とほとんど変わりませんが、本が大きくなったことと、それに伴い文字が大きくなったことが一番の違いでしょうね。
内容についても、多少、書き下し文に変更があるようです。旧版では、
とあったところなど、
と変更されています。読みやすさを考慮した変更ですね。
また、旧版では、
とあるところは、
となっています。その他、自我偈の箇所にもいくつか書き下しが変更されているところがあります。すべて読みやすく変更されており、今後は、新版を読んでいけばよいでしょうね。なお、書籍のページ数については、変更はないですね。
創価学会は、御書においても新版を発行し、『妙法蓮華経並開結』についても新版を発行し、読みやすい本を出しています。この点、高く評価すべきと思います。
今後は、十二分に『日蓮大聖人御書全集』新版と『妙法蓮華経並開結』新版を活用したいですね。良きところは活用し、そうでないところは、それなりにいなしながら、身をかわしながら、上手に生きていくことが肝要です。
もちろん、『妙法蓮華経並開結』新版を全部読むことも大事なのですが、やはり、「如来寿量品」を何度も読み込むという読み方が重要に思えます。
一信仰者として、成仏することが目的であることから、成仏の可能性を示唆している「如来寿量品」は、法華経の中で一番重要であり、この品だけは、どのようなことがあろうとも我が血肉にすべきと思うのですね。
一番重要なところを何度も読み、その読むという行為そのものが信仰実践に至るほどでなければならないと考えています。書を血肉化、骨髄化する次元にまで昇華させてこそ信仰といえるでしょう。
この点、『妙法蓮華経並開結』新版の発行は、本が大きくなり、字が大きくなったというところぐらいが旧版との違いといえるのですが、このように本が大きくなり、字が大きくなったということは、意外と重要なことと思われます。
いくら書を血肉化、骨髄化するといっても、読まなければどうしようもなく、まずは、読んでみようと思わせることが大切なのですね。字が小さいということは、取りも直さず、読みにくいということであり、一度、読みにくいなと思うと、人は書を開かないものです。自らの仏を開くといっても、まずは、書を開かなくては、肝心の仏も開かれません。
やはり、人は、新しいものが出ると、読んでみようかなと思うものです。そして、字が大きければ、読みやすいわけですから、なんとなく読み始め、そして、いつのまにか自らの仏も開かれていく、というのが理想的な流れでしょう。